もう9月だというのに真夏並みに暑い。

7月はあっと言う間に過ぎて、8月はコロナに感染してこれまたあっという間に終わった。とはいえスケジュール帖をめくってみると

仕事をして、友人に会って、寝込んで、本読んで、お出掛けしたり、句を書いたり詩を書いたりしている。活動している。

一昨日は久しぶりに歯科検診を受けた。異常はなかった。ちょっと前にはマンモグラフィ。痛かった。

普通に生活できていることの有難さを考える。と同時に大した理由もないのにもう転職したいとか仕事辞めたいとか思う。

生きているんだな。

 

『垂人』44号から

 

  垂乳根の母半身はすでに透け  瀬間 文乃

 

母にコロナを感染させてしまい、同居だから仕方ないとはいえかなり気持ちは辛かった。幸い軽症で済んだのでよかったけれど、

こういう気持ちになるのはもう嫌だなとつくづく思う。できるだけ苦労はかけたくない母ではあるけれど、ある日気付けば透け始めるのかもしれない。

 

  胃袋が永谷園になっている   広瀬 ちえみ

 

「座布団一枚!」と叫びたい。よくぞ永谷「園」。胃袋がたちまち日本庭園に様変わりする。けれど胃袋に入っているのはお茶漬け。ちえみさんはこういうトリックがものすごく上手い。

 

  立ち話百年ショウブカキツバタ  広瀬 ちえみ

 

菖蒲とかきつばた論争。私には未だに区別がつかない。この有様を「百年の立ち話」としてしまうのは平和だと思う。平行線のままで平和を保つというのは難しいけれど、一番の妥協策。

 

 

                                                2022・9・3

 

 

 

 

 

 

今年で母が77歳になるので、温泉旅行に連れて行こうと思っていた。

すると「尾瀬に行きたい」と言う。体が動く内でなければ行けない場所へ行きたいとのこと。

それは当然だ。ということで、急いで水芭蕉が咲いているであろう時期にツアーを探して無事に予約完了。

その後、叔母も一緒に行くことになり、三人で尾瀬旅行へ出掛けた。

 

北陸新幹線に乗車できることも嬉しかったし、群馬や新潟へは行ったことがなかったのでとても新鮮だった。

 

尾瀬のガイドの方は、かつてエベレストで遭難者を探すメンバーのおひとりだった方。有名人らしく、他の参加者の方がエベレストのことも質問していた。尾瀬湿原については予備知識なく出掛けたので、ガイドの方の様々な角度からの解説がとても面白かった。

 

              

                  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 

昨日は新しいスマートフォンのデータ移行を自分でやろうとして大苦戦。不具合の原因がこれまで使っていた機器にあると判明するのに時間がかかり、移行しなくとも他に方法はあるので地道に時間をかけてセットアップをしていた。 馬鹿馬鹿しい。

と思わずにはいられない。便利になっているのか不便になっているのか、もはやわからない。デジタルデータは所詮実態のないものだし、弱い。こんなものに頼っている生活、世界の上で自分は仕事を得て、働いて、命を繋いでいる。対して群馬や新潟で眺めた広大な田畑や、険しい山中の棚田や、ダム湖、湿原、山を削って造営されたスキー場、雪崩や山崩れで多くの死者が出た場所が、地元の要望で再工事されてまた観光地化してることなどを思うと、複雑な気持ちになる。

 

エベレストでは強風であっけなく人間は吹っ飛ばされるのだそうだ。ものすごく遠くへ。一瞬で。

 

 

                                           2023・6・18

 

 

 

 

 

 

 

『川柳の仲間 旬』247号

 

ビー玉はとてもキレイな逆恨み  樹萄らき

 

 らきさんは光るものの句が上手いひとだなと思う。それも、宝石のような眩しい輝きではなくて、もっと柔らかいきらり。について。

 キレイな逆恨みなんてあるものなのだろうかとふと考える。あるのかもしれないと思う。

 

コーラ買う窓から見える自販機で  桑沢ひろみ

 

 普段の生活の一部分を切り取った句であるように見える。でもどうしたって深読みを誘う。コーラの爽やかささや、明るいイメージとは裏腹に(おそらく)自宅の窓から見える距離の自販機でコーラを買う距離の身近さ。生活範囲の狭さ。爽やかさを味わうことのはかなさ。自販機そのものの閉塞感。

 

  ぼちぼち梅雨入り。今年の春も植物の見せてくれた景色は素晴らしかった。鼻炎はなんだかまだ続きそうだけど。春のエネルギーの交換は嬉しいような疲弊するような夢のような。

 

  心にはないことを言う春だから  大川博幸

  口数が少なくなって樹が倒れ    〃

  春卵の一つとなって生まれたい   〃

  ベイダーは闇落ちひとは春に堕ち  〃

 

 

 

 

 

「what`s」vol.4

 

「what`s」vol.4に広瀬ちえみさんと柳本々々さんの往復書簡が掲載されている。とても面白いので人にお勧めしたいけれど、所謂売り物ではないので余分がある時には葉ね文庫さんにお渡しするようにしている。興味のある方は葉ね文庫さんにお立ち寄りの際に読んでみて下さい。

私も大好きな広瀬ちえみさんの句集を軸に対話が繰り広げられています。

うっかりと生まれてしまう雨曜日

あかさたないきしちにがありミルフィーユ

絶景を見に行く殴り倒しつつ

かき混ぜるだけで戦争できあがる

雨曜日だったね全部おぼえている

 

いちばん興味深い所。柳本々々さんの書簡から抜粋 「短歌は想いを描き、俳句は風景を描き、川柳は人間を描くということが言われています(中略)それはどこかぜんぶをいっていて、同時に、なんにもいっていないことでもあるよなあと」

 

「ボーイソプラノ」高橋かづき

老人のように扱われる小銭

たっぷりと観察されているかもね

少年うしろ向き つめ切る音がする

ドラえもん半日ぐらいいて欲しい

学生服ぬぎすてられたままである

 

「夜」加藤久子

とりあえず夜の深さは非公開

両足が底に着いたら教えてね

誤って燃やしてしまうあした

象をはんぶんこしませんか

いつだってそこにあったのに朝よ

ひょっとしてあなたここ入口?

 

「はりー、はりー、」竹井紫乙

壊れた世界に壊れた句の品詞

闇ちょこれいとを製造するバイト

戦争がリボンで結ぶ遊園地

穴があったら売り物になるらしい

ひっそりと潰される喉の言い分

迷彩柄が増す女性専用車両

 

 

 

 

 

ウィーン少年合唱団を聴きに行く。

 

初めて生で目にした彼等はとても普通の、どこにでもいそうな少年たち。少年というよりも子ども、と表現した方がしっくりくるような幼いひともいた。24名での合唱。

すごぶる美声でハーモニーの美しさはさすが。質の高い音楽教育を受けているのがよくわかる。

 

姿勢がちょっと悪かったり、落ち着きがなかったり、しんどそうだったり、慣れない国でのツアーは苦労も多いのではないかと思われた。にもかかわらず聴こえてくる歌声はとても美しい。声変わりした後はどういう道に進むのだろう。柏餅は食べてみたのだろうか。

などとしょうもないことを考える。

 

人生の中のほんの短い時期だけの歌声。人体の不思議。

 

様々な国の子どもがおり、楽曲もバラエティ豊か。これからも進化を続けるのだろう。

 

 

                                          2023・5・5

 

 

 

 

 

3月から4月はよく外へ出て花を見た。

 

叔母が「日本人は虫。桜が咲くころになるとぞろぞろ表へ一斉に出てくる」などと言う。

私は若い頃、特に植物に興味がなかった。花を見てあれこれ考えるようになったりしたのは30歳をとうに過ぎてからだ。

犬を飼うようになってからは自然と目線が下へ向くことが多くなり、ちいさな草花にも気が付くようになった。

犬にはいろんなことを教えてもらった。

 

選挙の投票はいつも期日前にするようにしていて、自宅からほど近い図書館で済ませることが多い。

昨日は畑にたくさんれんげが咲いていた。風が強くて、晴れているのに台風みたい。よく犬とも歩いた道で、今はいない犬のことを

いつも思い出す。今日みたいな日の散歩は嫌がっただろうな。

 

                                                   2023.4.22

 

黄砂の量がすさまじい。朝から涙とくしゃみで起きる。頭は重いし体はだるい。

この季節は多くのひとがどんよりした体調に悩まされているのだろう。

とはいえ家に籠っているのもなんだか癪に障る。

ということでお花見散歩。幸い雨は夜まで降らないらしいし曇天のまま夕方までは

大丈夫という天気予報を信じて。

 

数年前に初めて京阪電車の沿線に引っ越してからというもの、機会を見つけては降りたことのない駅の街へ出掛けるのが楽しみの一つになった。

 

今回は寝屋川市駅で下車し、打上川治水緑地へ。

初めての街は緊張する。どんな道なのか、家々なのか、商店なのか、交通量は多いのだろうか、等々あらゆる情報をインプットしつつ目的地へ。治水目的の公園というだけあって、すり鉢状の大きな緑地で池にはたくさんの鳥がいて、木々の枝にはびっくりするくらい多くの鷺が羽休めをしている。桜は見頃と言っていいくらいの咲き加減。

テーブルと椅子も設置されていて、消毒液もセット。出店の内容も美味しいものばかりのようで、色々買ってみる。

 

曇天の桜はやさしい色合いで好き。花曇りという言葉も素敵。

ちょうど「はがきハイク」が届いたところだったので、帰宅してからも家の中で春を愉しむ。

 

  たとふれば春ゆふぐれの紙問屋  西原天気

 

紙問屋ときくと「紙屋治兵衛」だなと連想してしまう。ヒロインの名前は小春だし。なかなか艶っぽい一句。

 

  ゆく春の局所に麻酔ときどき雨 西原天気

 

春雨の穏やかさに救われることはあっただろうか。春はひたすら眠いから、ただそれだけでも夢見心地になれるけれど。

 

  まどろみにのりしろがあり落花あり 笠井亞子

 

                                                 2023.3.25

 

葉ね文庫さんで芳賀博子さんの川柳展示。

イラストは吉村哲さんという方。

 

芳賀さんの川柳に、吉村さんの絵はぴったりはまっている。

芳賀さんの句が洗練されたものが多い。

決して毒が無いわけではないのだけれど、角がないので

こういう柔らかなタッチとの相性が良いのだと思う。

 

  ひとひらの蝶が流出したらしい  芳賀博子

  七人の小人が何か燃やしてる    〃

  世界への異論つぶコーンスープ   〃 

  弟も薔薇星雲のつむじ持つ     〃

 

世界に対する視線の柔らかさ。「点呼はじめます」というタイトルも押し付けがましさがなくて。

 

               

                                               2023.3.4

 

 

 

毎年歩いて行ける公園で梅見が堪能できる。

ここでは樹木の種類が多いので、梅、桃、桜がこれから見頃。

その後には菖蒲、紫陽花と続く。夏は百日紅、蓮。秋は紅葉。

 

今週は川柳をたくさん書いた。一度出来上がった句作ボタンはずっと作動するものなのだろうか。スイッチを押すとどんどん句が出来上がる。

もちろんおかしな駄作も含めてのこと。この句を書く面白さは何なんだろう。けれど柳歴が長くなるとこういう状態には警戒心も芽生えてくる。

慣れで書くことは危ういことだと思う。

 

詩作には全然慣れがこないので、常に新鮮で、難しい。難しいことは面白い。疲れるけれど意欲が湧くしとんでもない失敗作も出来上がる。そこがいいんだな、きっと。

 

                   

                                                2023.2.12

 

 

 

 

 

 

 

ブログのことをすっかり忘れて過ごしていた。

 

基本的に毎日丁寧に生活してはいる。

去年も一昨年もかなり体調が不安定で、とにかく日々を慎重に過ごすしかない。仕事はおろそかにできないし、体調管理も自分の責任なのでまめに病院に通っている。気が滅入ってしまわないように心掛けて、家のことや親のことにも心を配って、その隙間には一年中悪いニュースが耳目に入る。

都合の悪い話には見えない、聴こえない、という態度を取れればいいのかもしれないけれど、昨今の状況下ではこのような態度は文字通り命取りになるのでなかなか難しい。

 

昨年秋頃には精神的にもかなり調子を落としてしまったものの、年が明けてからは少し元気が戻ってきた。理由は単純で、仕事の忙しさがましになってきたから。ただしもうすぐ同僚が二人辞めてしまうので、春に新しい人員が入るまでの間はまた残業ばかりすることになるのかもしれない。二人ともいい同僚だったのでとても残念。

 

 

                                                2023.2.12

 

 

 

 

                    

 

 

 

 

新年からきらきらした川柳に出会う。

 

  しりとりはまだまだ続く宝石だ  丸山健三

  ふり向けば全部入口だった道   小池孝一

  勾玉を並べる素数だと光る    樹萄らき

 

『川柳の仲間 旬』1月号から。

去年はとても悲惨な1年だったので呼応するような表現を目にすることが多く、それは自然な

現実ではあるけれど、読んでいてものすごく疲れる。刺激を受ける、というのではなく。

疲弊させられる表現とはやはり距離を取りたくなるもので、良く言えばまだまだ私には柔らかい部分が多いということであるし、悪く言えば体力がなくなったということになる。

 

宝石、全部入口、勾玉。今日は晴天で、ゆっくり過ごせる何の予定もない一日。

静かに光っている。

 

ウェブマガジンの『週刊俳句』は毎年<新年詠>を募集していて、投句されたものはすべて掲載されている。

元旦早々に投句されている人たちもすごいけれど、編集されている方々もすごい。

今年は読んでいてなんだかじわじわくるものがあって、それは季語の働きなのかもしれないと思った。

なにがじわじわくるのかといえば「お正月感」そのもの。上田信治さんが書かれているように即吟ばかりだと思われるので、

季語をフル稼働させて句作されるのだろうと推察する。そこは川柳人とは違うとっさの反射神経が働くのだろう。

無季俳句はとても少なかった。「お正月感」にはさほど深い意味は見いだせないけれど、意味は要らないのだ。

見たままをそのまま提出する面白さがあって、ただそれだけでいい世界。昔ある俳人の方が「俳句にはワタシが要らないから良い」と仰っていた、その言葉を思い出した。

 

  海老と蟹とねんごろの餅花手  竹井紫乙

  

 

                                                2023.1.9