『what,s』vol.3

 

なんだかどんどんページ数が増量・・・。すごいなあと驚きながら読む。句集評のページが多くて読み応えあり。

読み物の部分が充実しているとやはりうれしい。

 

達者な方ばかりが参加しているので、句も面白いものが続く。不思議なことに食に関する句がとても多く、その中でも桃を詠んだ句がかなり目を引いた。わたしも桃が大好きなのだけれど、皆さんもお好きなのだろう。食べるのも、眺めるのも。

原ゆきさんは冒頭に5句、桃の句を書いておられた。

 

  白桃のことをどれだけ知っているの   原ゆき

  白桃を四つ頂く四つの死         〃

  桃 守りは常に甘いことにして     竹井紫乙

  旬の桃美味しく食べたことがある    鈴木逸志

 

目上の方が多いので、心身の老いに関する句も多数。その年齢になってみなければわからないことはたくさんあると思う。

そしてその時にどのような表現をすることが可能なのか。とても興味深い句が目白押し。

 

  魂が逃げ出さぬよう障子貼る           渡辺誠一郎

  きょうは何の日あなたがだれかわからぬ日     佐藤みさ子

  日は暮れて日々日々死亡適齢期          鈴木節子

  浄土を目指すわたしに魔女の杖がある        〃

  プロジェクトチームにおばぁを入れるべし     広瀬ちえみ

  「あ、おばあちゃん」めずらしいものみるように  加藤久子

 

私も50歳を超えたので、「江戸時代だったらもう死んでる」と自分に言い聞かせて毎日過ごしている。そうすれば体調がよろしくなくても、物事がうまくいかなくても、もう死んでてもおかしくないわたしが今、生きているという事実はすごいことだと信じることができる。友人たちには「めっちゃ元気やんか」或いは「元気そうにしか見えない」とか言われてしまうけれど、そんなことはない。見た目と中味が一致しないようであるのはマスク生活のせいだろう。いつまでマスクを使い続けるのかもう先が見えない状況ではあるけれど、とりあえず元気そうに生きている。

 

  

                                                 2022.11.13

 

 

 

 

『川柳の仲間 旬』244号

 

  式神に包まれてゆく包み紙  樹萄らき

 

マトリョーシカみたいな句。結局一番奥に何があるのかはわからないのだけれど、柔らかい紙にくるくるくるまれて不思議と気持ち良い感じなのかも。

 

  夜の雨ずぶぬれというなつかしさ  大川博幸

  悲しみに翼をあたえないように    〃

 

ずぶぬれになる自由もある。子供の頃、山から下る時に大雨に遭い、ふもとの宿でお風呂に入れてもらったことがある。しんどい、ではなくて面白かったのだった。初めての経験は、元気な時は大抵面白い。今は心は元気でも、体が元気とは言えない状態だから、滅茶苦茶なことはできないけれど。

 

悲しみに翼を与えないってどういうことなのだろう。手元にあえて置いておくのか。それとも、美しい思い出には飛翔させない、ということなのか。微妙に不可解、でも気になる一句。

 

  ほっぺたの湿度をふっと思い出す  桑沢ひろみ

 

湿度のある頬に触れたことがあったかな、と考えてみる。これまで触れたことのある頬はさらさらしてるか、肌の油分或いは化粧品などの成分が感じられるか、であって湿度とは違っていたなあと思う。涙を流せば湿度は生じるかもしれない。

あたたかみを感じる句。人間の体は情緒の塊なのかもしれない。

 

                                                 2022.11.12

 

 

 

ランタンフェスティバルの告知を駅で知り、十数年ぶりに黄檗の萬福寺へ出掛ける。

昔、煎茶道のお稽古に通っていた頃は年に一度はお茶会の行事で赴いていたものの、朝から夜まで大寄せ茶会のお手伝いに励んでいたので普茶料理をいただいたことも、売店に入ったことも、ない。

 

ランタンは中国から持ってきたもののようで、これまた昔に香港で行ったタイガーバームガーデンを彷彿とさせる雰囲気。日本人が作るものとの違いは、やはり「カワイイ」の感覚のようで、パンダはこわい熊であるし、子供も孫悟空もデフォルメされていない。

お花も虫もリアルな表現が貫かれていてとても印象的だ。ありのままを映す、という点が大事なのだろう。

ちょっとした海外旅行気分を満喫する。

 

中国琵琶の演奏では、中国の音楽、日本の音楽、最後にウイグル族の音楽と続く。最後は神戸の華僑の方たちの獅子舞で盛り上がったのだけれど、ほんとうにどの国の民族も平和に暮らせるようであってほしいと思うし、交流が普通にできることを願う。

 

                           

                                                2022.10.29

 

 

 

 

 

大阪中之島美術館『展覧会 岡本太郎』展

 

 子供の頃から岡本太郎が好きで、大規模な展覧会に行くのは初めてではないのだけれど今回はこれまでと随分印象が違っていた。

展示の構成のせいなのか、年齢のせいなのかはわからない。青年期の初期作品が多く展示されていたことも関係しているのか、とても詩的なものを豊かに感じた。特に絵画作品は見れば見るほど感動的で、ずーっと眺めていられる魅力に溢れている。印刷物と実物はまるで違うので、以前にも見たはずの作品も新鮮に感じた。

 できるだけ混雑を避けるために有給休暇を取って平日に出掛けたものの、老若男女問わず人は多かった。すべての作品が撮影可能だったので、大きなカメラでひたすら撮影し続けている人たちもいた。

 太陽の塔の存在は、大阪育ちの私にとっては奈良の大仏と同じようなものだ。いつでもそこにあって、何度見ても「大きいなー」と言わずにはおれない。眺めていると嬉しくなるもの。理屈の要らないもの。

 対して絵画作品に流れている凄まじい抒情性は決して甘いものではなく、けれど厳しいだけのものでもなく、とても生々しい。

出来の悪い冗談のような現在の社会状況を思う時、岡本太郎の輝きはいっそう際立つ。

 

  ゆりかごに乗せる見知らぬ種ならば  小池孝一

  平成が心の中にないのだよ      樹萄らき

 

 海馬川柳句会で今月の題は「時事吟」。難しくて、無理だなと思いつつとりあえず書いてみたものの、壁を感じた。

上記の句は全く関係のないところで書かれた句なのだけれど、時事吟として読めるし佳句だと思う。

 少なくとも十数年前までは、さほど国家に対して残忍さは感じていなかった。けれど昨今の非情さは一体何なんだろうか。とても恐ろしい世の中になったと思う。

 

 

                                                2022.9,11

 

 

 

 

『垂人』42号

 

  出口雪、出口雨、風どれにする    高橋かづき

 

二つの出口があるのだとして、雪か雨を選択しなければならないなんて辛いなあ。

でも現実はいつもこういうものなのかもしれない。

 

  薔薇として生きねばならぬ晩年も    高橋かづき

 

このように断定してしまえば、それなりの生き方になってゆくのだろう。

先日数年ぶりに百貨店の化粧品カウンターへ行き、商品の説明をしてもらっていた。

するとお得意様らしき一人の老女がやって来て、「いつもの基礎化粧品を」と告げ、

カルテに基づき店員が接客していたのだけれど、その店で一番華やかな紙袋に商品を

詰めるよう言いつけ、数万円の金額を支払い、杖をつきながらゆっくり帰って行った。

たぶん80代くらいの方で身なりは質素だったけれど、私はあのくらいの年齢になった時、

彼女のようでいられるだろうか。と考えてしまった。私の祖母は肌がとてもきれいなひとだった。いつも寝る前に時間をかけて

基礎化粧品を肌へ入れ込んでいた。薔薇でいるのは手間がかかるのである。めんどくさいことをするのが生きることだとかづきさんは書いているのだ。私はいまだに祖母のような肌の手入れができないままでいる。

 

  石段をのぼっていったアブナゲは   広瀬ちえみ

  奥の手を持っているらしホガラカは    〃

 

笑っている場合ではない世の中ではあるけれど、朗らかでいるということは素晴らしいことだ。だいたい私は毎日数時間は不機嫌で過ごしている。一日中機嫌が悪いわけではない。けれど朗らかでいられる時間はそんなに多いわけでもない。会社勤めをしている人間はこんなものだろうと思う。だからイライラしたりはしない。静かに不機嫌。

今年の8月に入ってびっくりするくらい社内でコロナ陽性者が発生している。これまでほとんどいなかったのだけれど、次々お休みに入ったり、リモートワークに入ったりしていてもともと人出不足なのに更にばたばたしている。隔離期間が済んで出社してきても、げっそり痩せてしまっていたり、咳が止まらないひともいて、緊張感が高い状態で勤務している。あまりに仕事が山積みになってきてしまって、会社側が感染者と濃厚接触者以外のリモートワークを推奨しなくなってしまった。石段をのぼっていったアブナゲは、無事に降りてくることができるのだろうか。

 

 

                                                2022.9.4

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

湊圭伍さんとササキリユウイチさんが「盆ダンス」川柳句会を開催された。

zoomを使う句会は初めてだけれど、使い勝手は良いように感じた。松下育男さんのzoomを使った詩の教室にも参加させていただいているし、会社でも時々使う。これから機能がさらに進化するのだろうと思う。うまく使えば句会場を設けてさらにzoomでも参加者を追加して、大規模な句会も可能になるはず。

 

今回は参加者も選者も若いひとが多かったので、とても新鮮だった。

 

披講のこと。マイクが設置されていない場合、大きな声が出せないひとはこのことが理由で選者を辞退することがある。基本的に大きな声で披講することが求められるけれど、マイクを用意していればよいだけのことなのに、無いことが多い。自然、大きな声が出せる男性のほうが披講に向いていることになってしまう。規模の大きい大会ですら、マイクが無かったり、音量が小さい場合(なぜなんだろうか)後ろのほうから「聴こえない!」という大声がかかる。「もう一回言って!」とかもある。

zoomの場合、こういう心配はない。

披講はできるだけゆっくり。と初心の頃に教わって、そのようにしようと思ってきたけれど(これは句会の参加者に高齢者が多いことも関係しているし)、若い人はたいてい早口である。勢いとパワーが違う。今回、若い人たちの披講を拝聴していて、別にこれでもいいんじゃないかと初めて思った。何故ならそれが披講している人のリズムとテンポなのだし、聞き取れないことはなかった。何より、一生懸命さが伝わってきてそれが一番大事だと感じたから。

 

提出句も面白い句が多く、面白いだけではなくレベルの高い句も多かった。既成概念を壊してゆくのはこういう人たちなのかもしれないなあと思う。

 

(川合大祐選 サランラップ) 剥がすのをためらうサランラップの絵  南雲ゆゆ 泣きたくなると旭化成に電話する    湊圭伍

 

(雨月茄子春 選  雑詠) ダイイングメッセージから音が出る 暮田真名 宇宙はきっと絵に描いた中村    西脇祥貴 握手の中で潰れてる鍵       嘔吐彗星 ダークマターのぬいぐるみだね   水城鉄茶

 

(竹井紫乙 選  菫) Violet, おもむろに言いなりになる  嘔吐彗星 この幅は菫の影が通れない     今田健太郎 菫にこだわる人工言語       ササキリ ユウイチ 住民票に菫の羅列         スズキ皐月 さみしさは菫であって牙である   湊圭伍 美化室にすみれ人間マリアンヌ   西脇祥貴

 

(ササキリユウイチ選 夏) 母の夏がこの左心室を通る音   スズキ皐月 永遠の沈黙二つ白い列      まつりぺきん 大天使イクサ改名せまる夏    金瀬達雄

 

(二三川練 選  さかな) 今だって授業抜け出さないさかな  太代祐一 おさかなを咥えたままで散った花  金瀬達雄 監督が刺身になれるわけないよ   暮田真名

 

 

 

「盆ダンス」川柳句会提出句 竹井紫乙 永遠の擬態すみれの眼は四つ   冷凍庫から木星へ行く魚 きらいだの形で潰れている蝉 鱗付きの先生と旅に出ます なめくじらが本流になる八月 ボンカレーと同衾してばかりだよ カルピスの底でのびている宿題

 

 

 

 

                                               2022/8.21

 

 

 

 

 

 

『ふりょの星』暮田真名

『Ladies and』平岡直子

『くちびるにウエハース』なかはられいこ 

 

左右社から三名の川柳句集が相次いで刊行されて、ようやくきちんとすべて読み終えた。

出版社が出す本は、自費出版とは違って売れなければいけない。今回の企画がどのくらい成功したのかはわからないけれど、

それなりの成果は出ているのだろう。(そうであってほしいと思う)刊行の順番、イベント、本の装幀と選ばれた句の内容、いづれも計算されたもので、まずそのことに感心してしまう。(これが単発で出されていたならインパクトはやや弱まるだろう)三名の書き手の個性がばらばらで楽しめる。全員の書き手が女性であったことも印象的。何より、三冊ともきちんと内容が素晴らしい。

 

私の川柳の先生は時実新子で、『川柳大学』には女性の書き手が多かったのだけれど、それでも現在に至るまで個人的には川柳の世界はおおむね男社会の縮図のようだと感じてきた。今後、これらの句集がきっかけで何らかの変化が起こるとすればジャンル内での分断が予想されるけれど、そもそも川柳の場合は関わっている大勢に「ジャンル」についての認識自体がないことが多いので、事件にはなりえないだろう。ただお互い関わらない、というだけで。

 

  

 

『川柳の話』第3号 細川不凍を読む

 

細川不凍さんの特集号。作家自選の50句に加えて、6名の論(座談会含む)を読むことができる。

いわゆる境涯句で有名な書き手である、ということくらいしか私は知らないので(句は読んだことがある)皆さんの意見を拝読することはとても興味深く感じた。

 

川柳に関わるようになってからお付き合いがあった方たちのうち、闘病期間が何年か続いて後に亡くなられた例はいくつかある。みなさんほとんど最晩年には鉛筆も持てる状態ではなかったけれど、ぎりぎりまで句作を続けておられた。そういう方々の姿にまったく影響を受けないわけもなく、いまだによく思い出し、生きておられたらどうだっただろうか、などと考える。

だから境涯句に対して否定的な気持ちはない。ただし、大きな逆境の中でどのように創作行為に向かうかという姿勢については甘い感覚で受けるべきではないと思う。簡単に言えば「同情」や「憐れみ」ということについての考察ということが問題になってくる。

 

不凍さんの句歴は長いので、様々な句がピックアップされているのだけれど、優れた句にはいちいち書かれた背景の説明など要らない。見事な句をたくさん書いてきた作家だということが十分よくわかる。

句を書くひとには誰にでもピークというものがある。何度もピークを迎えるひと、一度も来ないひと、様々だけれど冷静な作家論はその書き手が絶筆した後にしか本当は書くことができない。だから基本的に今号に登場する論者はみな、不凍句の良い面について論じ、書いている。その中で湊圭伍さんだけはとてもアグレッシブな論を書いておられた。対象に対して誠実な態度であり、勇気があると思う。論は“実人生の境涯にはそれほど興味をもたない私も、ひとりの優れた作家がどのように変質し、それがどのように起こったのかについては興味がある。それは、ひとりの作家ではなく、むしろ、社会の質の変化によるものだという気がしている”という一文で締め括られている。

 

  畳一まいあれば鎮まるけものの血    細川不凍

  向日葵の首は折れたる夜のサーカス    〃

  桃すするわが口中のあべまりあ      〃

  人形に髭生え父母を煩わす        〃

  蝶死んでわが眼球におさまりぬ      〃

  十月の藁人形が身籠りぬ         〃

  伏して待つわれにけものの歯のあれば   〃

 

 

 

                                               2022.7.31

 

 

 

 

 


以前、テレビで紹介されていた塔本シスコさんの展覧会へ出掛ける。

 

熊本出身の画家。50代で大阪に移住して創作活動を続けておられたそうで、移住先が現在の私の住居に近い場所であること、絵の題材が近所であることなど気になるポイントが。何より元気が出そうな作品ばかりのようで是非とも実物を観たかった。

 

会場の滋賀県立美術館に行くのはかなり久しぶりで、美術館へ行くまでの道筋などはまったく記憶から消えていた。記憶っていい加減なものだし、自分にとってどうでもいいことは残らない。

 

アンリ・ルソー同様、シスコさんも美術教育を受けていない作家。独特の自由さがあり、力強く明るい。展覧会場を出る頃には前向きな心持ちになっていた。常設展示室の小倉遊亀の作品にも心が洗われる。

 

世の中では悲惨な出来事が続いているし、仕事はやたらと忙しく残業ばかり。かなり疲れているので相変わらずニュースを見るのを避けている。避けていたって目にも耳にも入ってくる情報は少なくないのでスマホを持っている限り、情報難民にはなれないのだと思う。

 

 

今日は朝日新聞に掲載されていた時事川柳についての記事が目に入った。ざっと目を通して深掘りすることはしなかったけれど、

新聞の時事川柳にあんなに神経を尖らせる人たちが世間に存在するなんて信じられなかった。テレビの報道内容も同じことだけど、

句の良し悪し以前の問題で、言論の自由の危機しか感じられない2022年7月。

 

 

                                                                                      2022.7.18

 

 

馬川柳句会の6月の題は「記憶と欲望」。

 

永眠は許されないスタアの眉

ぜんぶわたしでせかいでしょ?ひまわり   

 

西沢葉火さんがTwitterでパピ句会という企画をされている。

今回のお題は#ジュニーク。12音字で句を書くというもの。

書いてみるととても書きやすくて面白かった。短詩のリズムについて

考えさせられる良い企画。

 

紫陽花は全部見ている

龍の居場所は虹の中

武器になる黒い詩集

ぐるなびに試されている

折れてゆく口紅の意思

旅立ちは上下水道

 

もうひとつ今月はTwitter上での句会として#もこもこ川柳句会があった。紀伊國屋書店国分寺店での「こんなにもこもこ現代川柳いったいぜんたいなんてこったい」フェアでの企画。これもやってみると楽しくて、句がどんどん出来る。「もこもこ」という題が素敵だからなのか。個人的には昔持っていた玩具に「もこもこちゃんとケーキのおうち」というものがあって、「もこもこ」には良い思い出しかない。

 

磨り硝子の罅から洩れるもこもこ

天使のもこもこが吹き飛ぶ晴天

ラッキーセブンの足元には鬘

もこもこに無視された日のシャボン玉

エアコンの敵としてもこもこが居る

うせものはもこもこゆえにいでがたし

開腹手術したら全部もこもこ

ヤクルト1000が湧き出すもこもこ岩

雷を連れて来るもこもこの愛

もこもこの親友は爆発なのよ

もこもこを椅子にしてしまうよ、ごめん。

もこもこサマージャンボの原油と株

お稲荷さんから下賜されたもこもこ

 

たぶん林檎だから人類が咲くね

もうすぐ骨になりますからよろしく

繊細でも生きていいよね、もこもこ。

家紋は水を遣れば増えるんですよ

なぜだか美しい生存競争

もこもこが愛しているのはろっ骨

こころざし骨董品になれること

大勢のもこもこと闘ったよね

もこもこと傘になってゆくお芋

 

                                      

                                                  2022.6.26

 

 

 

 

 

 

 

『川柳の仲間 旬』

 

このみどり溺れていますみんな来て  丸山健三

居所が知られた桃を置いて去る    樹萄らき

春先のかさぶたはなぜかさみしい   桑沢ひろみ

 

早緑の季節がやって来て、会社の近くでは薔薇がたくさん咲いている。しばらく梅雨のような天気が続いていたけれど昨日は雨が上がったので園芸店に出掛け、家の鉢植えの相談をしたり新しい花の苗や土を購入したり。園芸用品のお店はみんなちょっとうきうきしているように見える。今以上に鉢植えを増やすとよろしくないなあと思いつつも、新しい植物を招き入れることはやっぱりうれしい。

 

鉢植えのレモンの葉っぱを餌にしていた青虫がみんないなくなってしまった。

どこに行ってしまったのだろうか。いたら困るし、突然消えると気にかかる。

 

海馬川柳句会の5月の題は「産婆術」。

こういう題をよく思いつくなあと感心しちゃう。提出句はソクラテスが登場多数。題をそのまんま受けてしまうと、句を書くのがつまらない気がしてついつい横道にそれる私。参加者のみなさんの句、面白かったと思うと同時に、読み込み等一切禁止の制限の厳しい題詠句会も楽しいかもしれないと考えてみる。実はそんなにがちがちに縛りのある題詠句会というものには参加したことがないので。「産婆術」でそういう句会をした場合は一体どんなことになるのだろう。

 

シブヤから第五頸椎まで対話  石川聡

か→ふ→か 脚をじたばたさせながら  湊圭伍

産婆から産婆へ渡されるマイク  水城鉄茶

かぐや姫口から竹が生えている  西生ゆかり

老後の仕事はうまい棒の育児  竹井紫乙

 

                                                  2022.5.15

 

 

 

 

 

だいたい春は体調が悪くなる。ゴールデンウイーク辺りは特に。とは言えそれなりに出掛けてみたりする。

 

親戚の家に行くついでに西脇市岡之山美術館に寄った。國久真有の個展を開催中。ここは昔、横尾忠則の美術館で以前から行ってみたかった所。最寄り駅の路線は廃線になる予定らしいので、最初で最後の訪問となるだろう。

 

数年ぶりに京都国際写真祭の展示を観に行く。人混みを避けて朝早くから出掛け、2か所だけに絞る。大通りを外せば人は少ない。

駅周辺は人が多いものの、テナント募集をしているところがあちらこちらで目に入った。

 

 

今日は数年ぶりに中学からの友人たちと会った。

 

遠方に暮らしているわけではないけれど、会う機会はなかなかない。お互いの生活はそれぞれ忙しさの中味がまるで違うので。

家の屋根裏にアライグマが入り込んで住処にされそうになった話や、最近の学校教育の話や、とても興味深い話題が続く中で、最も

驚いたのはコロナのワクチン後遺症のことだった。

 

友人の母が3回目のワクチン接種後から普通に歩けなくなり、物忘れが急に多くなってしまったとのこと。足腰が立たなくなるという例は他所でも耳にしたことがあったものの、身近で実際に症状が出たひとの話は初めて聞いた。一人で家の外へ出た際に転倒し、救急車で運ばれ、ようやく杖を使うことに同意してもらえたと言っていた。ワクチンを接種した病院に行っても埒が明かず、別の病院で診察を受けても明確にワクチンの後遺症であるという診断はされないそうだ。

今日会った友人はそもそも一度もワクチン接種をしていない。私は1回目の副反応があまりにもひどく、回復にかなりの日数がかかったのでそれ以来接種していない。「子供には接種させない」という意見は職場でもよく聞くし、今後のことは全く予測もできないけれどワクチンの反応は個人差がかなりあるので、やはりまだまだ治験が足りないものなのだろう。

 

私は体に不調があればすぐに病院へ行くことにしている。友人はめったに病院へは行かないのだそうだ。つきあいが長くても、知らないことっていっぱいあるものだなと気付く。

 

 

 

 

『what's』vol.2

 

たこ焼きにたこが無いのも意味である  なかはられいこ

どんなことすればいい人なんだろう   鈴木せつ子

氷点下めだまも硬くなっている     浮千草

目を受け取ってから耳を予約      加藤久子

 

創刊号よりも参加者が増え、読み物のページもうんと増えた。参加者が書きたいだけ、書いてよいルールなので強制ではない。

皆さんの「書きたい」意欲の旺盛なことにちょっと驚く。

こういう意欲を引き出す力が、広瀬ちえみさんにはあるのだ。

 

たましひをひとつ増やしてぬひぐるみ  竹井紫乙

不渡りの手形に貼っておく蕾       〃

愚かになるための練習着は白       〃

 

 

                                                                 2022.5.7

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ふりょの星』暮田真名(左右社)

 

左右社から3連続刊行される川柳句集の第一弾作品。

暮田さんはこの句集前に、2つの作品集を制作されているので第一句集とは言わないのかもしれないけれど、内容が被っているので第一句集、という位置付けなのだろう。

(詩歌の本は何度でも構成を変えて制作できる)

 

  いけにえにフリルがあって恥ずかしい  暮田真名

  かけがえのないみりんだったね      〃

  みんなはぼくの替え歌でした       〃

  県道のかたちになった犬がくる      〃

  家具でも分かる手品でしょうか      〃

  アルミホイルに包まれたままの人がいる  〃

  ティーカッププードルにして救世主    〃

  忌引きです おいしくなって会いにいく  〃

  大抵はドッグラン生まれドッグラン育ち  〃

  故人はとても、プロペラでした      〃

                      うれしはずかし死体見習い        〃

                      猛犬は、賢くなって、誰でもよかった   〃

 

冒頭に「OD寿司」というタイトルの連作が掲載されている。これは以前にも読んだことがあって石田柊馬さんの「もなか」だな、と思ったのを覚えている。握り寿司も最中も構造は同じようなもの。暮田さんは知性で句を書くひとなのだという印象を受けた。

詩歌を書くには心が大事だと多くのひとが認識しているけれど、こころの使い方は人それぞれだ。短詩は特に「ただ書きたいから書く」というやり方も可能で、特に短い川柳と俳句には「あそび」の要素が色濃い。あそび方はシンプルにも複雑にも出来る。

暮田さんには7・7の句も多いけれど、とても上手く使いこなしている。

 

句集全体から受け止めたのは「虚構でなにが悪い」ということだった。なかなかパンクな感じである。今の若者はパンクって言ってもわからないかもしれない。時折、町田康が自分はパンク歌手である、と自己紹介しているくらいで、あんまり使われなくなった言葉のような気もする。左右社の戦略なのか、暮田さんの好みなのかがよくわからないけれど、この句集の表紙は吉田戦車、句集の中でも「たま」という昔売れたバンド名や、ナゴムレーベルなどのレトロな要素が散りばめられており、一体この句集のターゲットはどこなんだろうか?と不思議に思う。(本自体の素敵さは若者向けのような気がするけれど)50代の私の好みに適っているというのは、それで狙い通りなのだろうか。

 

この本が売れる、ということは川柳にとって重要な事態だと思う。そして長年川柳に関わってきた方たちにこそ読んでもらいたい。

 

                          

                                                     2022.5.1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

海馬川柳句会の4月の題は「Gmaj7」。

私は単純に幅広く音楽に関係すること、コード(これにもいくつか意味はある)にまつわる物事で作句した。

参加者の皆さんの兼題への解釈は様々だったらしく、雑詠も含めて楽しい句が集まったという印象。

ちいさな春の暴力性(だけど可愛い)を書いている千春さんの句が今回のお気に入り。

 

 

   文末に西洋タンポポ黄色がる  瀧村小奈生

  がんこな汚れにGmaj7     下刃屋子芥子

  わかったピンクの砂だ     西脇祥貴

  月曜のコードは眠たい花束   竹井紫乙

  桃缶がドライブをする春の庭  千春

  朝潮に世界のような音がする  川合大祐

  母の顔行きががり上沙羅双樹  西生ゆかり

  ギターのお腹で育つ猛禽類   竹井紫乙

 

 

 

『あざみ通信』のシークレット号が届く。

 

わたしの第一句集『ひよこ』、あざみエージェントでお世話になった第二句集『白百合亭日常』

のことについて書かれたエッセイが掲載されている。

 

第二句集の制作からはまだ7年しか経っていないけれど、『ひよこ』の制作からはもう10年以上経過している。自分としてはあまりにも昔のことなのだけれど、本は年をとらないからいいなと思う。

 

『ひよこ』の頃を振り返ると、あれから川柳句集の流通に大きな変化があった。ネット販売の拡大と、SNSでの情報発信だ。わたしの句集が様々なひとに読んでもらえるようになったきっかけは、柳本々々さんのブログ記事、「葉ね文庫」さんでの取り扱い、あざみエージェントでの販売の三つの要素が同時進行していたことだった。第三句集の頃にはAmazonでの句集販売が普通のことのようになった。これはそれなりに他の短詩の本が流通しているという前提があってのことで、短歌の本が売れるようになったこととも関係がある。

 

これから川柳句集はもっと広い範囲で流通していくようになるだろう。それはとても素晴らしい出来事。

これまで流通だけでなく、川柳句集制作のお仕事をしてこられたあざみエージェントはとても重要な役割を担ってきたのだと

あらためて思う。

 

 

                                                                                      2022.4.10

 

 

 

 

 

 

 

今日は数か月ぶりに友人と京都市内で会った。

京都市内に出掛けるのは2年ぶりくらい。コロナ禍以降では

初めてというくらい、久しぶり。

 

桜は葉桜になる手前も美しいと思う。今日はほとんど外で

過ごしたので、花吹雪を浴び続けていたような気がする。

外国人観光客が少ないようで、むかしの人混み加減に戻った

のか、歩きやすい一日だった。

 

ここ数日間、精神のバランスを崩してしまっていた。

原因はSNS上で目にしてしまったウクライナの画像だ。

様々な記事もあわせてあまりの残酷さに衝撃が大きく、

普通の精神状態ではいられなくなってしまった。

これらの報道にどれだけ自分の精神状態が不安定になって

しまっているか、という話は会社や家ではできない。

言葉にもできない感情が重くなっていく。

友だちになら話せるかもしれないと思い、「うまく話せないかもしれないけれど」と前置きして、お風呂で湯舟につかっている時に涙が止まらないことや、通勤の時に目に映る景色がもし、突然破壊されたらどうしようと感じる不安になどについてなんとか話してみた。阪神大震災や、東日本大震災の時の報道映像のことも話し合った。友だちは阪神大震災で自宅が倒壊している。日常が突然壊れること。信じていた倫理観が壊れること。理解できないあらゆること。受け入れられない暴力のこと。

 

今日は一日中良いお天気で、一日中、花びらが降り注いでいた。

わたしたち、死ぬまでしあわせでいなければならないね。強い意志を持って。

恐怖でひとを支配するものに対抗できるのは、こころの幸福だけだから。

 

                             

                                                    2022.4.10

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3月は残業続きで気付いたら4月になっていた。という感じ。

 

左右社から三名の川柳句集が刊行される告知を目にして、素敵な企画だと思う。

春が来たのだな、とあらためて実感して春はあっという間に過ぎてしまうから

きちんと春に身を置こう、ということで筍をいただく。

 

美味しいものを味わう瞬間には、余計なことは考えないで味覚に集中することにしている。桜を眺める時も、ただ眺めることに集中する。美しいのは瞬く間のことだから。

 

3月末で、長い間お世話になった『川柳 びわこ』を退会した。一昨年くらいから退会について考えていて、去年のうちに決めたのだった。とても良い勉強をさせていただくことができて有難い年月だったと思う。

 

 

春が終われば夏が来る。

 

 

                                               2022.4.6

 

 

 

 

 

 

 

勤務先のシステム変更がうまくいかず、かなりの混乱が二月から続いているお仕事。絶対禁止です!などと通達のあった残業も解禁となったので終わらない仕事を日々黙々としているけれど、日本の企業が事務系の業務を完全にAI化するのは数十年先なのではないかと思う。それぐらい、意味のない複雑化を業務においてやらかすのが得意だ・・・。

という嘆きと同時に、こんな有様だからこそ私にも仕事がある、という事実は重い。世界はいつまでも、むしろどんどん、複雑化している。

 

『垂人』41号

 

  この世にて笑ふ茸となりにけり  中西ひろ美

  月光に呼ばれた茸から折れる   坂間恒子

 

茸に人間が心惹かれるのは何故か。これらの句にはその答えが含まれているような気がする。茸になりたい。

 

  真夜中のもうそうもやしぼうそうす  高橋かづき

 

暴走するのはもやしと妄想だけにしてほしい。もう長い間、ニュース番組を見るのがつらい。BSのワールドニュースくらいの冷静さでただ事実だけを報道してほしいと思う。

 

  猫帰る向こうの国のごはん食べ  広瀬ちえみ

  ご持参のそれがあなたの囀りね    〃

 

2022年にあからさまな侵略戦争を目の当たりにするとは夢にも思わなかった。香港の状況やミャンマーの内戦にも驚いたけれど、国のトップや外相が平気で幼稚な嘘を言い続けることに恐怖を感じている。日本も政治の状況が良くないのでなおさら。

 

『川柳の仲間 旬』240号

 

  訴え続けたから簀巻きにされた   樹萄らき

  今はもう膝の上だけが自由       〃

  強気ってすぐ空中分解する       〃

  魂を抜くとき幸福を入れる       〃

 

連作タイトルは「昼行灯」。らきさん独特のアイロニーであるのだけれど、ユーモアも感じられる。魂を抜く時に入れるのが幸福であるところに救いがある。

 

湊圭伍さん主催の「海馬川柳句会」2回目の題は「※」。プライベートな句会で雅号もあえて普段とは変えている方もおられるので、句はあまり紹介しないほうがいいのかもしれません。個人的には「※」を使った句では兵頭全郎さんの句がすぐに思い浮かぶのですが参加者の中には知らない方もいたのだろうと思われ、その辺りも提出句の内容に影響があったような気がしました。

短詩の問題のひとつとして、知らずに他の人の作品とそっくりな句を書いて出してしまうということがあるので、やはり様々な資料に目を通しておくということは大切なことだと改めて感じました。ともあれ今回も面白い句を読むことができて有難い句会です。

 

  ※(ひとつからでも眼が拾えます)   なな

  天界の略図をもっている蛹      紫竹

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大阪中之島美術館が開館した。長い間、たくさんの人たちが諦めなかった情熱の賜物だと思う。

私が若い頃から、「準備室」は色んなところで所蔵作品を展示、公開していた。だから今回の「超コレクション展」には、見覚えのある作品が多かったし、それらの作品に再会できたことは喜びでもある。サントリーのポスターコレクションも以前、天保山で見たもの。様々な気持ちを感じる展示だった。その中でも佐伯祐三の作品群はひときわ輝いていた。

 

美術館の帰りに出入橋のきんつばを買って帰ろうと思い、店に入ると売り切れ寸前。北浜の店の方も売れ行きが良く、前日も早い時間に商品がなくなってしまったとのこと。美術館の近くのパン屋さんは行列ができていたし、近隣のレストランは混んでいたしで、中之島界隈の経済には良い影響が出ているようだ。大阪中之島美術館の横は、大阪国立国際美術館、その隣は大阪市立科学館、少し歩けば香雪美術館があるので一日中楽しめるエリアになった。うれしい。

 

 

2022年2月22日はスーパー猫の日ということで、横尾忠則の『タマ、帰っておいで』のサイン本の販売がTwitterで告知されていた。

この本は以前から購入しようと思っていた本なので、猫の日記念に注文した。きっと横尾さんはお忙しい方だろうし、届くのは大分先で、サインもあっさりしたものだろうと思っていたのだけれど、そんな予想に反し3月に入ってすぐに本は到着。サインは弾むようなデザインで猫の日の日付も書かれていた。販売部の方の手書きのメッセージカードも添えられていて、とても嬉しかった。

簡単に説明すれば亡くなった猫と飼い主とのエピソード画集ということになる。とても愛情溢れる内容で素晴らしかった。

特に横尾さんがタマに成り代わり書いている、タマから横尾さんへのメッセージ(こう書くとなんかややこしい)が面白い。

 

 老いも死も妄想です。妄想は穴を埋めていくことです。君のやっている芸術とかは空洞を埋めようとしています。空洞は空洞としてスカスカでいいのです。

 

 

今年開館した大阪中之島美術館の1階で、ヤノベケンジさんの巨大作品の作品集が販売されていて、一冊ごとに違う表情の女の子が描かれたサインがついていた。ヤノベさんの作品は以前から好きなので購入。この二人の作家のサインを見比べて、すべてが作品の一部なのだなということを実感する。そしてこのお二人はサービス精神が旺盛なのだ。

 

昔、別の現代美術作家のサイン入りの作品集を購入した時には、「え。これがサイン?」と驚くくらい、雑な、汚れのようなものがサインとしてくっついていた。その作家の作品は今でも好きなのだけれど、こういう部分、というところにも作家性というのは現れるものだと思う。

 

                                              2020.3.13

 

 

湊圭伍さんが「海馬川柳句会」というネット句会を立ち上げられて、

参加させていただいている。

 

題がトライアルの会は「タツノオトシゴ」、第一回目は「ライム」。

読み込みもありなので、色んなパターンの句が提出される。

 

評も皆さんきちんと書かれるので、熱量が高いなあと思う。

妄想と言ってもいいくらいの評の内容だったりするけれど、短詩は読者の妄想込みで成立するところも否定できないものがあるので、それが本当に良いことなのかどうなのかは悩ましいのではあるけれど、読んでいて面白いことは事実。川柳は何でもありの世界だと言われることが多々あって、その「何でもあり」の内容が「書くことの技術」の方へ舵を切っているのだなということを感じた。

 

死後の或る夜は鬣立つノオト  湊圭伍

シンカイデヒトヲクフタツノオシゴト  竹井紫乙

(はにかむ。)じゃあみんな? みんなの落とし子 西脇祥貴

産んでも産んでも干物になる子ども  竹井紫乙

ライムになった少女はひとり  朧

円周×インド象−ライム  下刃屋子芥子

ライ麦はうしろあしから鳥になる   月波与生

ずり落ちながらぐしゃ。韻が踏む眼鏡  竹井紫乙

 

 

                                                        2022.2.11

 

 

 

 

『はがきハイク』第23号

 

 今日はとても良いお天気で、散歩がてらえびす祭りをしている神社へお参りに行く。

(我が家は商売人の家庭ではないので笹を買う習慣はない。)本殿でスーツ姿の人たちがご祈祷を受けていたり、真剣にお祈りしている人が沢山おられて、自分はちっとも関係ないのだけれど、ちょっと清々しい気分になったりする。

 

 帰宅してテレビをつけると各地の成人式のニュース。

私は引っ越しが多い家庭だった為に、成人の時に住んでいた街に同い年の友人がおらず、

自治体の成人式には出席しなかった。かわりに幼なじみと岡山の倉敷に記念旅行に出掛けたのだった。

 

 では振袖を着なかったのかというとそうではなく、別の日に朝から着付けをし、写真館で撮影を行い、親戚への挨拶回りをした。

前の日に確か外で遊んでいて寝る時間が遅く、朝起きるのが辛かったし、寒い一日だったような記憶なのだけれども、何か記念に残るようなことというのは忘れられない思い出となっていつまでも心に残るので、意味も意義もあるのだということは今頃になって理解できるようになった。当時の私は着物にまったく興味がなく「赤色でいい」くらいのリクエストしか、しなかったので着物を選んだのは母で、何もかも任せっきり。後年、従姉妹たちが振袖選びでかなり揉めていたのを見てびっくりしてしまった。

 

  外套着る永遠にあねいもうと   笠井 亞子

 

 この句を読んで、従姉妹一家の振袖騒動を思い出した。女の子三人のお家だったので、なかなか大変だったのだろう。もう全員、子供を産んで母親の立場になっている。

 

  空ぜんぶ使ひて冬の始まりぬ   西原 天気

 

 この句は冬の始まりを詠んだものだけど、とても明るい。空を全部使うなんて、可能性がどこまでも広がってゆくようで。

成人の日にふさわしい、大きさを感じる。

 

 

                                                   2022.1.10

 

 

 

 

 

 

 

 

週刊俳句 767~768号 新年詠特集

 

今朝(1月9日)、寒いのでしばらく布団の中で読んでいた。

あっという間にお正月は過ぎてゆくもので、もはや松の内でもない。

毎年のことなのだけれど、年末年始は幻のようだ。

 

週刊俳句 Haiku Weekly: 週刊俳句 第767号 2022年1月2日 (weekly-haiku.blogspot.com)

 

どら焼きと三笠のあわひ雪ふるる  竹井紫乙    

 

                    あらたまの赤子の髪に口づけを 対中いずみ

 

                    口の端のごまめの粘りとかその他 島田牙城

 

                    急須置き年賀の包み紙破る 野口裕

 

                    謹賀新年欠伸の元栓がひらく   福田若之

 

                    十時からあんぱん作る二日かな  松尾和希

 

                    手触りはふとんのなかの初景色  山田耕司

 

                    元旦も元日もない犬走る いなだ豆乃助

 

                    主人引く犬が先頭初詣 小川軽舟

 

 

 

 

 

 

『川柳の仲間 旬』2022年1月号

 

  手首の白さキンモクセイ的だ      樹萄らき

  まぶしそうだね方舟が見えたかい     〃

 

らきさんのエッセイにはご自身の日常が飾らず書かれている。あまり自由に動かない体のことも。体調がすぐれないという事と長くつきあうのは、しんどい。

健康でいることの意味は、残念ながら不調にならねばわからないものだ。

らきさんの手首はほんとうに真っ白なのだろう。窓辺に方舟が現れれば、迷わず乗船するかもしれない。

不思議と光に満ちた二句で、印象に残る。

 

  滴るにこの世を少しつき放す  小池孝一

  神はいる 神によく似た少年も 大川博幸

 

年が明けても碌なニュースはない。私はこのご時世に仕事があって、働くことができていることをとても有難いと思っているけれど、愕然とする程に社会状況は悪化し続けている。かろうじて、社会のシステムは保たれているように見えるだけでいつ何が起こってもおかしくない状態になったと思う。

嫌なニュースを見聞きしたくなければ、何も知りたくなければ、つき放すだけで充分かもしれない。

けれど「知らなかった」という言い訳はもう通らない世界に入ってしまったような気がする。「知らなかった」こと自体が罪状に

されてしまうような。

 

                   

                                               2022.1.9