NHK大阪放送では、『かんさい熱視線』という番組がある。

アナウンサーの登坂淳一さんが司会で、いつも取り上げるテーマがとても

面白い。ちなみにこの登坂アナは、以前ニュースの読み上げもしていたけれど、みるみるうちに頭髪が真っ白になってしまい、「この人、大丈夫だろうか・・・。」と勝手に心配になっていたアナウンサーでもある。

この番組ではとってもお元気そうで、何より。

 

昨年の12月にこの番組で歌人の鳥居さんを取りあげていて、初めてこういう短歌の書き手がいるのだということを知ったのだった。

 

この人の歌集を読みたいなと思って早速アマゾンで注文。ついでにユリイカも購入。最近、やっと読むことができた。

 

病室は豆腐のような静けさで割れない窓が一つだけある

一つずつ命宿さぬ文字たちを綴り続けて履歴書できる

目を伏せて空へのびゆくキリンの子 月の光はかあさんのいろ

餅屋ではいつも誰かを祝うため「赤飯」の旗軒先に揺れる

この町に本当はなく僕たちは箱に詰まった海を見に行く

どこまでも線路は続くどこまでもきっと明日も誰か轢かれて

日曜日パパが絵本を読んでいる子供のとなり我も聴き入る

名づけられる「心的外傷」心ってどこにあるかもわからぬままで     鳥居

 

大手出版社から歌集を出す、というのは大変なことらしく、帯には「母の自殺、施設での虐待、小学校中退、ホームレス、セーラー服歌人」などの文句が連ねてある。本の装丁は白地に文字のみの印刷、という地味なものでどうしたって帯に目が行くようになっている。買ってないけれど、自伝本とセットでの出版が条件でやっと出せたらしいのでこれは書き手にとってはなかなかしんどい話だろうと思う。短詩は書籍の売り上げという面から言えばマイナーなジャンルではあるけれど。

 

理由なく殴られている理由なくトイレの床は硬く冷たい

爪のないゆびを庇って耐える夜 「私に眠りを、絵本の夢を」

本読めぬ指にされても本を読む汚さぬようにページを捲る

ほんとうに楽しみだった誕生日 砂糖のように家はくずれた

振り向かず前だけを見る参観日一人で生きていくということ

本好きな少女の脚に虐待の傷が静かな刺繍のように           鳥居

 

ユリイカの「あたらしい短歌、ここにあります」では鳥居のインタビューが掲載されていた。読み手を意識して、読める短歌を目指したと発言している。そして意識的に恋の歌を作っていないことも。この二つの点が、とても興味深い。

私は短歌を時々読んで楽しむだけの一読者だけれど、この二つの点は今の流れに対しての反骨精神の表れでもあると思う。

 

ユリイカを読んでいて不思議に思うのは、きちんと歌集を売っている鳥居について言及している執筆者が少ない、ということ。

「私性」の問題は、余程扱いにくいらしい。「鳥居の作品がどの程度事実に基づくものであるかは知らない」とか「そんなことはどうでもよいし興味もない」とか、距離を一旦置こうとしつつ、取り上げている。真正面から受けているなと感じたのは歌集の解説文も手掛けている吉川宏志くらいのように読めた。

 

慰めに「勉強など」と人は言う その勉強がしたかったのです

あおぞらが、妙に、乾いて、紫陽花が、路に、あざやか なんで死んだの   鳥居

 

静謐で美しい歌だと思う。

第二歌集以降の内容と質が厳しく問われるのだろうけれど、読んでみたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フリーペーパーの『うたらば』を4冊いただく。

 

友情のおわりを告げる音はなくだれかが触れたトライアングル

                         琴平 葉一

 

泣くことと笑うこととの肉薄を知った記念のチキンラーメン

                         山田 水玉

 

しあわせな日々と書かれたラベルだけ余っているのでもらってきたよ

                         実山咲千花

 

自転車に乗れない春はもう来ない乗らない春を重ねるだけだ

                         木下 龍也

 

花を食べ火の玉を投げ亀殺すあぶないやつが姫に近づく       関根 裕治

 

冷蔵庫の扉をドアと呼ぶひとよエビを取るときそこは海かい        ゆら

 

くちびるはとびらと思う冬の日に念入りに塗るリップクリーム    有村 桔梗

 

酔っていたので覚えてないが翌朝の鞄になにかの骨を見つける    ユキノ 進

 

永遠に僕が鬼です夕暮れに気付かれぬよう君の影踏む           鳩子

 

悪の秘密結社に内定が決まって親から全身タイツを貰う       宇野 なずき

 

 ラヴリーな世界。たまにはこういう歌を読んでほっとするのもいいなと思う。17号「秘密」は安福望さんとのコラボ号で

 とても素敵な一冊。眺めていると、とてもうれしい気分になる。安福さんの描く蛸、めっちゃ可愛い!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『かわいい海とかわいくない海 end.』瀬戸 夏子

 

 

 

作者名が本名か否か知らないけれど、素敵なお名前。関西暮らしの長い私はどうしたって瀬戸内海の夏を連想してしまうから。瀬戸内の海は穏やかで、美しいきらきら。

 

 

 

『SH』で先に句を読んでいて、自由律の句が多いなという印象。

 

歌集一冊の表現だと、どういう感じなのかなあと思っていた。書かれる世界観は、句でも歌でも瀬戸夏子さん、そのもののようだ。作者には作者独自の言語のリズム感というのが確かにあって、これに乗れない人には読むのが苦痛かもしれない。(これは表現されている世界に入っていけるか否か、以前の問題として。)

 

 

 

目次にある、各章のタイトルは到って普通。ページを繰ってゆくと、「まっすぐに読まないで下さいね」と言われているような気分になる。すぐに。素直に「はいはい、まっすぐに読まないよ」と思いながら読む。面白いことに、終わりのほうへ近づくにつれまっすぐに読んでしまっていることに気付くのだった。これはこういう構成にしてあるのだか、私だけのことであるのだか、興味深い部分。最終章が短編小説で終わるので、流れとしてリズムを整えているのかもしれない。

 

 

 

  夕焼けと夜明けのあいだ折々にひたすら妖精をつぶすゆびさき

 

  スプーンのかがやきそれにしたって裸であったことなどあったか君にも僕にも

 

  夕映えのみちひとすじにさしてからぼくの復讐よろこんでいる

 

  おれの新聞をとってくれ りんごはいい りんごは体によくないからな

 

  元気かしら 友情という友情の蝶ネクタイにとまっている蝶

 

  ひとところこころの茎を折るとして星と詩人の解を求めたからだの花束

 

  走ってく花のかたちの音楽で本名だなんてはしたないって

 

  野蛮なキッチンをさきにえらんで偶然は死よりも情熱的だ

 

  ひどい嵐ひどい満開そのただなかにして鏡を財布に

 

  愉悦すら悲しみに変えるぼくたちはいまだ若くて至高の半分

 

  ぼくたちをとびこえてゆく美しい嫉妬はたましいの部屋で遊んで

 

  きっと石鹸の粉をばらまき笑うだろうあなたといたら悲惨だろうに

 

  不機嫌へと橋を渡した目と耳と火のすきとおる終身半身

 

  沈んでくわが子と繋ぐ仏の手 睡魔はひろがる盲目の姫

 

『角川 短歌』7月号が面白かったので、改めて『サラダ記念日』を読んでみた。

 

装丁が懐かしい。80年代の空気が充満している感じ。作者のお写真も、発売当時は「可愛らしいお姉さんだなあ」と思った記憶があったのだけれど、今見ればお姉さんという印象は全くなくて、普通に可愛い女の子、なのだった。(こちらが当時の俵万智さんの年齢をはるかに上回っているせいでもある)

 

きちんと読むのは初めて。多少、時代を感じる歌があるものの、さほど古びた印象はない。内容が青春そのものなので、いつの時代でも読むことができるのだろう。

 

 

 

 

 

  陽のあたる壁にもたれて座りおり平行線の吾と君の足

  思い出の一つのようでそのままにしておく麦わら帽子のへこみ

  一プラス一を二として生きてゆく淋しさ我に降る十二月

  過ぎ去ってゆく者として抱かれおり弥生三月さよならの月

  上り下りのエスカレーターすれ違う一瞬君に会えてよかった

  手紙には愛あふれたりその愛は消印の日のそのときの愛

  万智ちゃんを先生と呼ぶ子らがいて神奈川県立橋本高校

  センセイを評する女子中学生の残酷揺れる通勤電車

  親は子を育ててきたと言うけれど勝手に赤い畑のトマト

  数学の試験監督する我の一部始終を見ている少女

  思い出はミックスベジタブルのよう けれど解凍してはいけない

  不可思議な生物としてあるわたし愛がなくても献血をする

  朝刊のようにあなたは現れてはじまりという言葉かがやく

 

 

 

 

  

インパクトのある見出し。

 

そうか、『サラダ記念日』は1987年刊行なので、随分年月が経つのだなと改めて思う。1987年といえば私は16歳頃で高校生だった。振り返ってみればその頃ちょうど授業で詩、短歌、俳句、川柳、漢詩、などをわりと丁寧に教わっていたはずなのだけれども、何故か先生は『サラダ記念日』について何も触れなかった。高校生にはきっと受けがいいはずの歌集だったのに。評価がまだ定まらないものを提示するのは、はばかられたのかもしれない。

 

書店でも大々的に売り出されていたし、さほど興味がなくとも色んなメディアで取り上げられていたので代表的な歌は何度も目にしたし、今でもそんなことが記憶にあるのだから大騒ぎだったのだろう。

 

『短歌』には俵万智さんのロングインタビューが掲載されている。その中で興味深いのが吉本隆明の言葉を引用して、「否定性を打ち消すことが文学の否定性の課題として成り立つかどうか」ということ。ご本人は否定性を否定している「全肯定」と表現。それに続いて「自分を特別な人だと思ったら終わり」とも述べている。「歌は手段じゃなくて、目的」とも。

 

普通のことを言っているようでいて、多分、最近の普通とはもう、違うのかもしれない。短歌を「方法」として使う人はあっさり辞めて行くのではないか、という発言もしているのでそのような傾向が短歌の世界にはあるということか。(どのような表現にも、それを手段や方法として扱う人達は一定数存在すると思うけれど)川柳とは違って、若年層が多いのだろう。何でも続けることは難しい。20代で『サラダ記念日』を世に出したご本人が、「歌集を出すのを、もうちょっとこらえたほうがいいんじゃないって思うこともあります。」と言っているのも興味深いところ。

 

 

 

 

 

 

 

『声を聞きたい』江戸 雪   第五歌集

 

葉ね文庫さんおすすめの一冊。集中して読みたいので、なかなか手が出せなかったけれど、ようやく読むことができた。

最近、俳句関係の本ばかり読んでいるので、とっても新鮮。地に足がついた感じ、とでもいうか。抒情の波をかぶる感じというか。

 

アーモンドタルトはさんで夕ぐれと夕ぐれの木のようにふたりは

 

 アーモンドタルトが効いている。木との響きがとてもいい。

 

ときに鉄は冬の果実のかたちして工場のすみに並んでおりぬ

 

 冷えた鉄の感じ。「冬の果実」であたたかみが加わる。

 

 陽は紙のふくろのなかの空間にたまりてやがて夕暮れとなる

 

  陽だまりを固定できたらいいのにな、と思う。夕暮れになるのも悪くはないけれど。

 

 工具箱にじずもる鋼みずからのつよささびしむ夜のありたり

 

  抒情の波をかぶると、工具箱さえ素敵。

 

 こんなにも輝くものか堂島川と土佐堀川が出会う水面は

 

  出会うことの不思議。どうしてこんなに輝くのかを、説明できる人はいないと思う。

 

 「あんたなんか」と言われた日もある その声は椿の照葉のようにきれいで

 真夜中に書いた手紙の混沌を落書きだらけのポストに入れる

 あさがおの蔓あちこちにぶつかって夏にはいつも自転車なくす

 

  微妙な喪失感とでもいえばよいのか。身に覚えのある欠落感というか。

  静かな受容は短歌ならではの表現かもしれないけれど。

 

 水仙のあまいにおいが吹き抜けた迷って道をおりかえすとき

 夏野ゆく傷ついたなどつけたなど言い合いながら自転車でゆく

 

 

 気持ちの良い、スピード感のある歌。屈折とはかけ離れている。

 何でも自転車に乗りながら 話し合うといいかもしれない。

 

 この窓をすぎて地上に下りていく雨は雨だよ比喩にはしない

 

    このストレートさが、短歌だな、と思う。

 なんでもかんでも比喩にすればいいとは限らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

谷じゃこさんのフリーペーパー2種。

 

「バッテラ」は短歌であそぶフリーペーパー、とある。

個人的には普通にバッテラが食べたくなるなあ。ゲストの、やじこさんの歌。違う種類のおじさんって・・・。

 

あきらめた日から小さな花をつけ違う種類の

おじさんになる              やじこ 

 

よく見たら希望のほうの雨でした鼻をなめれば

ひときわ甘い               やじこ     

                     

 

短歌だけではなく、6名の歌人が川柳を作っている。

「フリーペーパー並列」というタイトルだけに、とてもすっきりとしたレイアウトで、読みやすい。

谷じゃこさんの川柳と短歌。何故か小腹が減ったような気になる川柳。

 

 十二時のミックスジュースの騒がしさ

 袖口の指がおやつを食べたそう

 わたしにもわたしを思い出すチャンス    谷じゃこ

 

 神様の注目を浴びたいのです次から次にタワーを建てて

 眼鏡から見える景色をそのままに今夜の夢へ連れていきたい

 しまうまを夕焼け雲に放り込むレタッチレタッチ虎になるまで    谷じゃこ

 

 

 

 

 

 

 

『15歳の短歌・俳句・川柳』③なやみと力

子供の頃、タモリさんが「40歳を過ぎたら、それまでに悩み過ぎていたのが360度超してもう、何も悩まなくなった」というようなことを仰っていた。まだ子供だったので、その発言にびっくりした。そんなことってあるのかと。

 

  もういやだ死にたい そしてほとぼりが冷めたあたりで生き返りたい  岡野 大嗣

 

25歳くらいまでは、私もこんなことをしょっちゅう考えていた。「死にたい」この年齢を境に思わなくなったけれど

「もういやだ」は30代後半くらいまで続いたような気がする。

 

  いますぐに君はこの街に放火せよその焔の何んとうつくしからむ  前川 佐美雄

 

文芸の世界は何でもあり。しかもこの歌の場合、「君」という他者に向って「放火せよ」などど言っている。物騒な

ことだ。でも、「うつくしからむ」なのだよなあ。最近は、もう悩まない。よく考えはするけど悩まない。

 

 

 

 

 

 

『15歳の短歌・俳句・川柳』②生と夢  

けっこうおおざっぱなテーマ?生きることと夢は直結しているのでしょうか。とっくに大人になってしまった私には

むしろもう、わけがわからなくなったテーマかもしれない。

 

  〈職業に貴賤あらず〉と嘘を言うな耐え苦しみて吾は働く   石田 比呂志

   目先きすぐ金になる仕事選りてする断片の生寂しかりけり  吉野 秀雄

 

 いやー、こんなに本当のことばかり書いてあると、15歳に読ませていいのかしらと少しひるむ。

 でも、本当のことだから、いいのですね。

 

   自動エレベーターのボタン押す手がふと迷ふ真実ゆきたき階などあらず   富小路 禎子

 

これは子供でも大人でも関係なく、読める。押せないボタンだらけ。でも箱の中に入ったままでは生きてゆけない。

 

   わが椅子の背中にとまる白天使汝友好ならざる者よ     葛原 妙子

 

そうそう、天使が必ずしも友好的かというと全然違う。ということに静かに気付いた人から大人になる。

 

   こんなにもふざけたきょうがある以上どんなあすでもありうるだろう    枡野 浩一

 

今回の『15歳の短歌・俳句・川柳』②生と夢の中に収められた短歌の中で、一番好きな歌。希望と絶望はイコール。

 

 

 

  やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君  与謝野 晶子

 

 『15歳の短歌・俳句・川柳』①愛と恋 には、色んな種類の歌や句が掲載されている。

 有名な作家や作品の他にも、面白いものが沢山あるのだけれど、やっぱりこれは物凄いインパクトの強さがある。

 

 日本の義務教育を受けた人ならほぼ八割がたの人が学校の教科書でお目にかかる作家の代表作であり、

 一読、意味がすぱーんと理解できる。小学生でも早熟な子なら、ちゃんとわかるだろう。

 私はこのページに辿り着いた時、「お久しぶりです!」と心の中で挨拶した。高校の国語の先生が、与謝野晶子が

 好きで、けっこう時間を割いたのだ。一応女学校なので、もうちょっと無難な歌に重点は置かれていたけれど。

 私が子供の頃に、与謝野晶子の息子に嫁いだ奥さんが主人公のテレビドラマが放送されていた。懐かしい。

 

 『15歳の短歌・俳句・川柳』①愛と恋 73ページ

 

 

  生き物をかなしと言いてこのわれに寄りかかるなよ 君は男だ  梅内 美華子

 

 与謝野晶子は1878年生まれ。こちらは1970年生まれ。時代は全然違うけれど、啖呵を切っているという

 共通点がある。女の人が、男の人に。

 一字あけが効いていて、この啖呵に対して逃げない男の人は数少ないかもしれないけれど

 これはとっても愛情深い世界だなと、女の人である私は思う。

 

 『15歳の短歌・俳句・川柳』①愛と恋 135ページ

 

 

 

 

江戸 雪さんの短歌を初めて目にしたのは『短歌』で、「ようせつこうば」というタイトルの10首だった。

 

おそれつつ朝ごとに割る生卵けさはかすかな羽が付きいる

溶接の工場のまえにすっくりと真白き薔薇が咲いておりたり

夕暮れはやさしき器この町の道は油がしみこんでいて

淀川の縁にて食める焼きそばのああかつおぶしが飛んでいくがな

いいひとになりたいのんか渡されたクリアファイルが腕にはりつく

あついあつい夏日の果てにじっとりと回収されざる芥袋あり

                        江戸 雪

 

「なんやこれ、めっちゃええわー」と思った。10首の内容から、関西で暮らす(暮らしたことのある)女性だということはすぐわかる。

「いくがな」「なりたいのんか」の使い方、かっこよし。

歌集を読まねば、と頭のメモにつけていて、昨年末購入。最近やっと読むことができた。集中して読みたかったので。

 

ご病気されていたらしく、病の歌も多いのだけれどそれよりも、全体的に大阪愛に溢れていることに驚いた。自分が暮らす街を愛する、愛せる、ことが出来るかどうかは生きていくうえでとても重要な要素だ。

 

さびしさを掴んでそして突き放す安治川に陽がつよく射すとき

雨の夜の昭和橋にて転びたり川に映りし月に呼ばれて

まよなかの大渉橋はわれひとり渡しふたたび空っぽとなる      江戸 雪

 

安治川の辺りはちょっと、さびしい感じのする町だ。昭和の名残があって。この界隈以外でも、大阪市内は川の街で橋が沢山かかっている。それぞれに名前がついていて、私の祖母は元気な頃、かなりの数の橋の名前を知っていて私に言って聞かせていたが、ぼんやりした子供だったので残念ながらあまり覚えていない。橋の名前を意識したのは社会人になって、市内を自転車で乗り回すようになってからだ。有名な橋は駅の名前や地名に組み込まれているので特別意識せずとも記憶されてしまっている。

 

やけくそになってすわれば淀川の土手はくまなくかがやいていた

大阪はわたしの街で肋骨のようにいくつも橋が架かって

三月の雪もうじゅうぶんにくるしんだ受けとめながら川まで歩く

水の面のさかさまのビル輝いて言うべきことはそんなにもない

蒼き水を淀川と呼ぶうれしさよすべてをゆるしすべてを掴む

ひえびえと地下水脈をゆるがせし谷町線に咳をしており

誤解されだめになりたる関係を舟のようにおもう窓辺に      江戸 雪

 

素直に共感できる歌がとても多かった。読後感がかなり爽やかなので、何度も読みたい一冊。