『川柳びわこ』2018.10

 

どこからの折り返し点黒猫の    佐久間京子

 

最近、「折り返し地点」についてよく考えることがある。それは犬が死んだことや、母の老いのことや、自分自身の体のことや、変化が多いことが原因なのだけれど。

母の誕生日が近いので、欲しいものをプレゼントすべく一緒に買い物に出掛ける。

母の欲しいもの、というのはどんどん変化するので面白い。「今までそんなもの、欲しいと言ったことなかったよね?」というようなものが買い物で、実際の所、

母も私もお店の人に置いてある場所を尋ねなければ、物品の在り処もわからない。

 

お化粧はしなければ外出できないけれど、面倒で、簡単なファンデーションが欲しい。靴下のゴムがくいこむようになったから、足首に優しい靴下が欲しい。お腹が出てきて苦しいけどストッキングは履きたいから、おなかゆるゆるのストッキングが欲しい。

五十肩になったから、前ボタンの下着類が欲しい。などなど。申し訳ないけれど、買い物していて笑ってしまった。そして、そのような希望を満たす商品は、ちゃんと販売されているのだった。

 

お化粧、というのは楽しい反面たしかに面倒で、私自身もかなりいい加減にしか、やらない。きちんと化粧品を使えば落とすのにも時間がかかる。着るものなどは、そもそも更にいい加減で、ファッションというものの楽しさはよく知っているけれど、10代から20代にかけて、散々着たい服を着てきたので、もはや執着心がかなり薄い。着心地の良いものが一番いいのである。

 

折り返し地点を考えることは、体のことを考えることと同じで、なかなか興味深い。この句には最後に黒猫が配置されているけれど、黒い猫の体というのはぱっと見、境目がわかりにくく、目をつむってしまえば顔も漆黒になってしまう。曖昧な体と心に意識を集中させる時間は大切なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

森田律子さんの句集を読む。新葉館出版から順次刊行されている「川柳作家ベストコレクション」のシリーズから。

 

  バケツならあります座りたいですか

  バケツの底はバケツのものだ 亀よ

  バケツかぶせて伝説にしてしまう

  縺れあってるのは底のないバケツ    森田 律子

 

バケツの句が多い句集だった。珍しいと思う。人それぞれに、使用頻度の高い言葉というものはあるけれど、律子さんの場合は「バケツ」であるらしい。句集を編集する際に、作者自身も気付いているはずで、おそらく整理した上でこれだけバケツの句を入れたということは、もっと沢山のバケツ句が存在していると予想される。

以前、アウシュビッツ収容所からの生還者の証言に、洗面器なり、バケツなり、液体を溜めることができる物体を確保することが生き残るための必須条件だった。という話をされていたのをテレビ番組で見たことがある。

律子さんのバケツもそのようなものなのだろうか。私は生きて存在していること自体が嫌になってしまうことが度々あるけれど、律子さんのバケツがあればなんとかなるのだろうか。

 

森田律子さんとはたまーに参加する句会でお目にかかることがあるくらい。いつも面白いように句が抜けているから、句会に行って律子さんの句を耳にしないで帰ることはない。句会吟がとても上手い書き手である。川柳らしい、川柳を書くのに長けている。

それは例えば以下のような句。

 

  ねずみ花火を見ている猫を見ている

  アリンコに番号つけてしもたがな

  おはじきをいっぱい持って行く奈落

  空想を抱えて鳩が帰らない       森田 律子

 

穿ち具合が軽やか。もっちゃりした句が無い句集でもある。一言でまとめてしまえば大人の川柳書きなのですね。という感想。

意外と大人の川柳書きといえる書き手は少ないので、句会で律子さんの句は際立つのだろう。

 

  いつ死ねるかを考えている一羽     森田 律子

 

 

 

 

 

 

  

 

『川柳の仲間 旬』2018年9月号

 

  幼くて遊んでほしい闇ちょこん

  ややこしい闇に好かれたようだねえ

  おしろいのにおいの闇ですか 二文

  左目にステキな闇をお持ちだね        樹萄 らき

 

らきさんの連作のタイトルは「夏の市」。湿度が低い闇なのだなあと思う。

いつもながら、らきさんの句は誰に向かって書かれているのか不思議だ。

夏の夜店で闇を売り物にしているお婆さんの姿が想起されるものの、それらの闇を購入したところで特別いけないことが勃発するようにも感じられない。

闇は闇、ただそれだけのことで、それ以上の意味性が消されているところが軽やかで魅力的。

 

魅力的といえば今号に掲載されているらきさんのエッセイもドライ感がいい。「最短」というタイトルの実話で、二日間で解雇されてしまった職場の話。解雇の理由が、全くわからない。きっとらきさんにも、未だにわからないままなのだろう。読者の私にもさっぱりわからない、ちょっと不思議なエピソード。北欧の童話のようだ、というのが私の感想なのだけれど、生活している地域の気候風土は必ず大きな影響を人間に与えるものだから、長野県人であるらきさんの筆に湿度が無いのは当然なのかもしれない。

 

          

 

 

 

 

『川柳びわこ』2018.9

 

毎号、表紙には会員一名の10句が掲載されている。今号は渡辺花子さんの10句。

とても素直な気持ちで書かれた句ばかりなのだろうと思う。邪気、などというものとは無縁のような気もする。

現実世界の捉え方が美しい。

 

  元気さえあれば立派な琵琶湖です    渡辺花子

 

立派じゃない琵琶湖ってどんなんや?と私などは考えてしまう。いつ見てもあんなに大きな湖なのに。この句は作者の心象風景なのだろうけれど、心のおおらかさが感じられる。

 

  ラーメンずるずる百歳になりました   渡辺花子

 

祖父母と共に食事をした時に作った句なのかもしれない。私は一読、「浦島太郎みたい!」と思って嬉しくなった。ラーメンを食べている間にみるみる百歳になってしまったなら、それはそれで愉快。

 

  迷ったらアカン夕焼けが嘘になる

  好き嫌いでぐるぐる巻きになる根っこ  渡辺花子

 

嘘とかホントとか、好きとか嫌いとか、移ろいやすい感情の切れ端みたいなものとも言えるけれど花子さんは切実。なのがよい。

 

  そんなちっちゃいクチバシで私を傷つける 

  お買い得品です綺麗に泣きます    

  あたりくじはずれくじみんな一人ぼっち  渡辺花子

 

清らかな諦念だと思う。そして花子さんはとても元気なのだなあとも思う。元気な人は強い人。

 

  こどもしか注文できない冬の空      渡辺花子

 

 

 

 

  

 

  

『川柳スパイラル』3号

 

「現代川柳にアクセスしよう」という特集。巻頭にはジャンルの交流と横断について解説文が書かれている。

川柳人口はおそらくかなり、数としては存在していると思われる。結社や小さなグループもかなりの数があって、それらを網羅するのはまず不可能。そういった前提の下で、随分わかりやすい記事が掲載されている。

 

個人的には川柳界の「界」って、どこに存在してんのかしら?と思っているので各人の記事は面白いなあと楽しめた。ものの見方は360度、あるなあ。

 

他者の川柳を読んで面白いか、面白くないか。私にとってはここが最も大事なのだけれど、幸い「読んで面白い」ものであり続けている。それは面白いと思える句の書き手がいつの時代にも存在し、書くことを続けてきて下さったからなので、そこは句を残して下さった方々に感謝しなければならないだろう。

 

ただ問題なのは、川柳があくまでも句会中心で考えられているから「抜けた句」に、異様にこだわる人達が存在すること。題詠で抜けた句だけが並んでいる冊子には面白いものが少ない。選者の質というものがどうなのか、ということも問われるのだろうけれど。

 

句会に参加する、句を書く、これだけが川柳の楽しさではない。読む楽しみがもっと広がればいいなあと思う。そんなことをつらつら考えさせられた今号でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

新葉館出版から「川柳作家ベストコレクション」のシリーズが作成されている。

シリーズだから、本のつくりは全員同じ。こういう形式だと、コスト削減になると聞いたことがある。制服と同じ効果で、こういう形で出された句集は一見平たい印象だけれども、最も中味が厳しく問われるのではないかと思う。とはいえ全200巻と書いてあるから、さすがに全部読む人はほとんどいないだろうけど。

 

德永政二さんはあざみエージェントから既に4冊の句集を出されている。フォト句集なので、掲載されている句の数は通常の句集より少ない。とはいえ4冊。今回の新葉館出版から出た句集はおそらく初めての川柳だけの句集だと思われる。おそらく自選されたのだろう。

 

フォト句集に掲載されている句も入っているけれど、これだけ受ける印象が違うと、句集は選句と構成が命だと改めて実感する。

 

 

 

 

 

 

 

『川柳の仲間 旬』2018年7月号

 

   どの足を洗うか日常で迷う    樹萄 らき

 

何本、足があるのかな。私の足は2本のように見える。でも洗うべき足は、見えない所に何本か潜んでいるような気もする。洗いたいと望んでいる足の存在、と言うべきか。

 

   何者 神とほざいたら斬るぞ   樹萄 らき

 

                   誰かに対しての台詞のようでもあるし、見えない存在に対しての威嚇のようでもある。

                   真剣なようでいて、ふざけているようでもある。どちらでもよい世界。

 

 

 

 

 

 

 

 

                   

 

 

 

『川柳 びわこ』2018.7

 

かなしみを秘めてイレーヌ嬢と逢う

何もできないって立ち尽くすこと

じっとあなたは座ってる海をゆるして

そろりそろりすきまに灯り注いでる

よろこんで潰れて溶けてゆきましょう

逆流したりするから鳩を掴んでる     伊藤こうか

 

句姿が美しいなあと見惚れる。私も句を書く時に、句姿について全く注意を払わないわけではないけれど、整えること自体にさほど神経をつかっていない。こうかさんの句はただ美しく整っているだけではない。きちんと、隙間やひびがある。

 

  怖い夢見たばっかしにがんもどき 

  寝すがたのどこからどこが空の青

  お隣の家壊されて海になる

  激流の中で金魚とすれ違う

  正しさの半分ほどにあるぬめり     重森恒雄

 

境界線が消えていく瞬間が書かれている。夢と現実、死と生、日常生活の中で常に生じる選択の狭間。何にでも線を引けばいいというものでもないし、かと言って曖昧では済まされない事柄も存在している。行ったり来たりしつつ、多分最後はぼやけた世界に突入してゆくのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

『川柳 杜人』 258号

 

私には母がいるけれど、自分は母ではないし、今後も母にならないだろうと思う。

だから母という立ち位置のことは、実感としてはわからない。母へ向けた句は世間に多いのだけれど、或いは母から子や夫へ向けた句も多いのだけれど、単なる「母」の句というのは意外と少ないのではないか。

加藤久子さんの連作のタイトルは「母の日」。

 

  私がどこにもいない月よう日

  泡立草のまんなか母はもうやめた

  嘘がいっぱい詰まっていて痒い

  母の日の母父の日の父痛い空        加藤久子

 

                 「母」ってつまらんのかしらと思った。なんか虚無。

 

                   母の母からメリンスちりめんナフタリン   加藤久子

 

                  全然要らないですね、ナフタリン。なんて頭が痛い母の日。

 

 信号はいつでも赤で草の国

 家出するチラシ握ったまま母は

 順番に凶器ならべるお食事会    佐藤みさ子

 

あかいなー、三句とも。これらの句はまとまった形で出された句ではなく、ばらばらで句作されているよう。

どうしてみさ子さんの句はいつもこわいのでしょうか。不思議です。いつまでも赤いままの信号を待っているうちに草は茫々に生い茂って、そのうち青信号を待っているわたしは草と赤信号に喰われてしまうのではないか。母の買い物は一体何だったのか。凶器を使ってまで食するメインディッシュは何なのか。本当に食べていいものなのか。たった十七音字の川柳で、どんどん妄想の世界に引きずり込まれていってしまう。

 

 

 

 

 

    

ここ数か月間、久しぶりに田辺聖子の『道頓堀の雨に別れて以来なり』を読み直していた。

 

この本は私が20代で川柳に興味を持った頃に刊行された。

出版記念句会が番傘川柳社主催で開催され、選者に時実新子がいたので参加してみた。

当時はまだ川柳を書く習慣は無く、句会のことも全くわかっておらず、従って現地にぎりぎりの時間に到着し、句せんを手渡され、たしか何にも書けなかったのではないかと思う。

受付の方々は不審者を見るような顔をされていたし、こちらも勝手がわからず、どうしてよいか困った。

 

披講を拝聴すること自体はとても興味深いことだったものの、私が座った席はとても寒く、指先まで冷え切ってしまった。つまらないことを覚えているものだ。

 

田辺聖子さんはとても素敵なドレスをお召しになられており、フランス人形みたいだった。

 

この小説は内容が深く、長編で、一度読んだだけでは当時の私には受け止めかねる所が多々あった。今回は行きつ戻りつしつつ読み直しすることになった。関係者の人達はすでに亡くなられている方が多いだろうし、資料はまとまった状態で保管されていないに違いなく、大変なお仕事をされたものだなあと今になって改めて驚く。そしてこの川柳近代史をある一面からまとめる、というお仕事は、残念ながら川柳界の人には出来なかったことだということも、よくわかる。公平性を保つには、外部からの眼が必ず必要であるし、何よりも「読ませる力量」が凄まじい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『川柳 びわこ』2018.6

 

スーツのほんとうとワンピースの嘘  木野 孝子

 

最初読んだ時、逆なのではないかな?と不思議に思ったけれど、そこは人それぞれだしなあと妙に納得。大体、私は不器用だから何を着ていたって同じだと気付く。

 

ぶらんこが揺れているだけの真ん中  岡本 聡

 

不安定で、危ない真ん中。こういうぐらぐら動き続ける句はいいなあ。でも真ん中は空き地のまんま。誰もが抱えている虚無。

 

よろしいなーいつ帰ってもええねんや 藤本 花枝

 

結構なこと。

 

そのことはいつしか忘れハンバーグ  粟津 克宏

 

子供の頃の好物だったハンバーグ。毎日、祖母が出し続けるから嫌いになってしまった。

大人になってからはたまーに、食べる。今の私にこういう必殺な食べ物はあるかな?

 

泥のように眠るおとこと泥になる  中嶋 ひろむ

 

老若男女問わず、こういう眠り方をする人間を何度か身近に眺めたことがあるけれど、ちょっと置き去りにされた感じで淋しいものだ。こちらも等しく泥になってしまえたら幸せ。

 

ふと夢に鳥葬という終りかた    峯 裕見子

 

ほんとうに夢。

 

 

 

 

 

びわこ番傘のお当番で句会選者と誌上句会選者。

 

選は、本当は皆でした方がいいなと思う。選者をするのはとても自分の為になるから。

小さな句会なら、全員に選者が当たる。その程度の規模の句会が「座の文芸」には相応しい。

 

選者も、決まりきった顔ぶれになりがちだから、ころころ変えればいい。句歴なんか関係なしで。

 

自戒も含めて。類想句、同想句、読めない字、一字開けなのか何なのかわからない書き方、等々を減らすには、川柳を書く人が同時に読む人でなければならない。

読む人が少ない。とよく言われるけれど、競技性の高い句会ばかりやっていればそうなるのは自然なことだから、句会のシステムを変えればいい。本当に読む人を増やしたいならば。

 

無責任な私がこういうことを少しは考えたりするのだから、やっぱり全員が選者をしたほうがいいな。

 

『川柳の仲間 旬』2018年5月号

 

この柳誌の特徴は、同人の数が少ないが故にエッセイの量が多く、ほとんどが面識の無い方々なのに、とても書き手のことを身近に感じることが出来る、という点。

 

生きていると色んなことに遭遇するけれど、とりあえず今月も皆さまが、何とか息災で何よりです。

 

私自身はここ三か月がとても忙しくて、少しづつ落ち着いてきたものの、起こった出来事には初めての事が多過ぎて、三年くらいが経過したような気がしている。

 

今月号で一番気になったのは千春さんの句。句を書く上での「ためらい」って、一体何なのだろう。私の場合、千春さんとはまた違った意味での「ためらい」が無いのだけれど、それは言い換えれば自分勝手、我儘、図々しさ、ということかもしれない。

千春さんの場合はそういうことではないのだろうと推察する。この方は、私よりもずっとずっと、世界を信頼している人なのではないだろうか。

 

病んでいる人だがすごい苺臭

朝起きると生身の人間がいた

「入ってもいいですか」「いいですよー」ちつ

五秒後にあなたがゆずる春画です

恥じらって下さい洗濯機がおかわりします

雪の音遠くで聴導犬を呼ぶ

こんばんは 潮騒は足りていますか?       千春

 

 

 

 

 

 

 

手の平を三針縫っていたのを抜糸してから、みるみるうちに傷と皮膚が再生してゆくのを、毎日面白く観察している。

まだスクリューキャップを開ける、というようなことは出来ないものの(本当に完治するには何年か、かかるだろう)ほぼ治った。

 

犬はよく寝ているものの、起きている時(餌を食べるとか散歩するとか)は激しく元気溌剌としている。眠るときにはぐうぐういびきをかいていることも多い。気が向いた時しか「お手」はしない。ボール遊びもしない。ほとんど人の言うことをきかない。

こんなんで、いいのだと思う。

 

2003年の『川柳大学』で、もう亡くなられた柴田午朗さんの「川柳観」が(短文ではあるけれど)掲載されているのを久しぶりに読み返した。1906年生まれで、10代の頃から川柳を書いてこられた方なので、この文章を書かれた時には98歳だった。新作10句も同時に掲載されている。98歳のことは、98歳になってみなければわからない。大体、自分がそこまで長生きできるとは思えないし、生きていたとして、句を書いたりできるだろうか。

 

市井の文芸は市井の文芸としての個性を大切にすべきで、庶民の間で珍宝される五七五であればそれで十分であると現在は強く思っている。     柴田午朗   『川柳大学』88号

 

句作の上で様々な試みを続けた上での「庶民の間で珍宝される五七五」。普通のことを書いているようでそうでもない。こういう句を書くことが出来る人は、書くことが出来ることは、そんなにないのだから。

 

黄菊白菊複雑な世を知っている

男か女かくらいは分かる九十八歳

明治の頃から重いだけの鍵袋     柴田午朗

 

 

川合大祐さんの句集『スロー・リバー』が増刷されたとのこと。

売れるといいなあと、以前にブログで書いていたので良かったなと思う。

 

川合大祐さんの句はTwitterでご自身が撮影された写真と共によく目にする。とにかく多作な方なのだろう。句集とは違って一句に一枚の写真、という形で目に触れるので、写真と句との関係性がどうなのか、という部分に意識が持って行かれる。

 

『川柳スパイラル』2号が届く。川合大祐さんの同人欄の作品10句がとても完成度が高く、普段Twitterで目にする句群とはやはり違うもの。様々な「音」をテーマに書かれている。私は川合大祐さんのテーマは「ことばに対する懐疑」なのだと考えているけれど、

この美しい10句を眺めていて、疑うことは自由につながる道でもあるのだなあと改めて感じた。

 

山の音みな死に際に口ひらく

芋の音数字で描く日本書紀

鰐の音ついに峠を越える独楽

稚魚の音地球の上の水平器

狆の音細部に宿りすぎな神

ゴムの音波くだけきり猿の星

知事の音落ちている耳接着し     川合大祐

『川柳 杜人』257号

 

私は佐藤みさ子さんの書く川柳が好きで、『川柳 杜人』が届くと真っ先にみさ子さん

の句を探して読む。

毎回、全ての句に感動するというわけではないけれど、いつも色合いの違う発見がある。という楽しみがある。

 

「だれのおかげで」 わたしが食べている?   佐藤みさ子

 

この句、一字あけの場所が注目点。あいてなければ、普通は「食べている」の部分は

生活能力、経済力、などを意味するけれど、この句の場合は食物の摂取量の事ともとれる。と、なれば解釈の幅は広くなる。

 

「だれのおかげで」は通常は世帯主がよく言いそうな台詞だろうと思うのだけれど、これも違った意味を持つことが可能になる。この台詞を発声する人は、介護をする人かもしれないし、農業を生業としている人かもしれない。

 

この句をじっと見つめていると、いわゆる「前提」というものが、がたがたに崩れてゆくような感じに襲われる。「」と、一字あけと、「?」のせいに違いない。

 

みさ子さんの句の特徴に、言葉の持つ意味の前提だとか、常識だとか、イメージだとかをずらす、崩す、ということがある。

 

ひとりがひとりをころした日たすけた日    佐藤みさ子

 

この句の世界では、「ころすこと = たすけること」 と読むこともできれば、「ころした日」と「たすけた日」は、別々なのだと読むこともできる。或いは二つの異なる登場人物たちの物語なのかもしれない。

 

こういう句の書き方については、賛否両論あると思う。読み手に委ねすぎると感じる人もいるだろう。けれど、どのように読んでみたとしても生きて在ることの不安定さ、世界の歪みは浮き彫りにされている。

 

本人かどうか掴んでみてください

何もかも握ったままで休みます

しっぽさえあればひとりで立てますよ     佐藤みさ子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ふらすこてん』第56号

 

こちらの結社の会員でも何でもないけれど、何度か定例句会にお邪魔したことがある。今年の12月で解散するとのことで、もうちょっと、

句会に参加出来たらいいなあと思うけれど、何回くらい参加できるかはちょっとわからない。

 

自分は、句を書く人ではなくなったとしても、読む人ではありたいなあと、考えている。川柳を読むのは単純に面白い。

 

『ふらすこてん』の会員作品はいつも10句出しと決まっているようで、一人10句が掲載されている。10句というのは微妙な句数だから、大体はテーマを決めて、連作のような形で句を整えていくのだろうと推察される。中でも最も心惹かれたのが石田柊馬の10句で、「犀」と「京都」。犀は絶滅危惧種に指定されているかどうかは知らないけれど、かなり数が減っている動物のはず。その犀を現在の京都市内(それもかなりの中心部)に置く、というのはかなりの皮肉だと思った。その皮肉が「はんなり」している所がこの10句の魅力。

 

枝垂桜 犀の角やらお尻やら

白川から疎水渡って犀が来る

木屋町の露地をとことこ抜けて犀

犀 穴山楽器店に佇んで涙

犀よ 此処が花月の楽屋口━跡

犀直下、地下道直下、通勤特急

犀 洋風キッチンを好まず

固い固い木綿豆腐が犀好み

トロバスの夢など犀は見ているか

起きなさい犀 暴れてこそ犀       石田柊馬

 

 

   

 

 

『川柳 びわこ』2018.1

 

調律のすんだ球根植えました      今井 和子

 

用意周到ってこのこと。

 

泣きまねの上手い春雨サラダやね    北村 幸子

柿の実のぼたりぼたりと不整脈     重森 恒雄

 

おいしそうな句。春雨のてらてらした感じや熟柿のぐにゃぐにゃ。

私は柿を食べることができないけれど、「ぼたりぼたり」は魅力的。

 

あなたとは形に残る品がない      泉 明日香

 

贈り物や形見は、物体として存在しているものがよい(値段は問わない)。品物は気持ちを

               表現する道具だと思うから。「気持ちだけ」なんて、都合のよい言い方もあるけれど。

 

空箱が当たって空箱をもらう      月波 与生

散らかった部屋散らかったままにして  笠川 嘉一

 

正月早々どうするの、と一瞬言いたくなるような。羨ましいような。

 

時刻表閉じて海は消えていた      浅野 忍

水に流す人のかたちに切った紙     徳永 政二

 

消えたり流したり。生きるってこんなことの繰り返し。

 

 

 

 

 

『川柳の仲間 旬』2018.1月号

 

初めまして、かつおぶしがちらばった  千春

猫のヒゲぬけば消えさる十二月     大川博幸

廃墟あり何と確かなあからさま     小池孝一

 

川合大祐さんの前号鑑賞文がとても面白かったので、引用してみる。

 

「わかる/わからない」というのは川柳を読む上で必ず直面する問題である。だがもしかしたら私たちは(ここで「私たち」という複数形を使うことの無神経さを許し給え)、「わからない」ことを確認するために、作品を読むのではないだろうか。

 

「人はどうして、他人の作品を読むのだろうか、という問いからはじめたい。」という文章から、この鑑賞文は始まる。これについては様々な意見があると思われる。意見と言えないようなことを主張する人も多いかもしれない。他人の書いた句をちゃんと読まない、或いは読む気がそもそも無い、という人は結構多いだろうから。

 

私は他人の書いた句を読むのが「面白い」と思える人間だから、簡単に言えば楽しむ為に読む。面白がる。これは「理解する」ということではない。極端な話、わからなくてもあまり気にならない。そして共感性の高い句がいい句だとも思わない。

 

昔々、句会で披講された句に、いわゆる「ことば」ではない発語の組み合わせで構成された句があった。

私は選者の披講の声の調子で、これは産まれたばかりの赤子の声か、死ぬ前の人間の声なのだろう。と思った。

そのように受け取った人がどのくらいいたのかは知らないけれど、句会後の席ではかなり微妙かつ複雑な面持ちで、「あれってなんなの」「わけがわからない」と言う人達の感想が耳に入った。

 

ああいう句を句会で出す。それはきっと切羽詰まった心持ちのなせる行動なのかもしれなかったし、そういう句をとって、堂々と披講した選者も、書いた人の気持ちを全力で受け止めたに違いないだろう。

 

わかる、わからない、だけで割り切るのはもったいない。という場合も、ある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『川柳 北田辺』第86回

 

川柳の句会の場合、その場のノリとか空気とか、は大いに選に影響がある。題詠の場合は勿論

選はある程度、題に引っ張られる。それはそれとして、これらの事柄を全く無視して自分の書きたいように書くもよし、受け狙いで書くもよし、なのが句会のよいところ。

 

「百均」

百均では売ってないみよちゃんのほっぺ 酒井かがり

全て百円とキツネは言いました     きゅういち

これは実験これは逃避 ほんでも百均  山口ろっぱ

ドナルドレーガンを百均で値切る    井上一筒

百円のルビー並べて昭和史へ      竹井紫乙

 

「百均」という言葉はポピュラーになった。百円玉が存在するうちは、この言葉は寿命がある。そのうち消えてゆくだろうけれど。

 

「窮屈」

まばたきは三分二十五回まで      酒井かがり

                横断歩道で不純異性交遊          〃

 

何を「窮屈」とするか、でオチをつけている。この題でこういう句を書ける人は少数派だろう。心が自由。

 

「すぼむ」

口をすぼめて千早赤阪村少女歌劇団   酒井かがり

 

これは私が選者で抜いた句。この句を披講するには句の通り口をすぼめて読み上げねばならない。ただそれだけの句なのである。

 

「それはさておき」

ところで幽体離脱はお嫌いか      森田律子

 

こちらは枕が題。うまい作りの句で、題を知らなくとも面白い。

 

「酷」

むごいずるいずるいはじける      酒井かがり

真っ白な顔に生まれてしまったの    竹井紫乙

 

題にもたれ過ぎずに書くとこうなる。かがりさんの句は17音字ではないけれど、リズムは成立している。ちなみに関西言葉のリズムで読み上げると更によい。

 

『北田辺』の句会報を読んでいると、毎回色々気付くことがある。それは決していいことばかりではない。自分の欠点も見えてくる。一気に大量の句を書くから、なのだけれど。楽しいけれど、楽しいばかりが句会でもなし。

 

 

 

 

 

『川柳 びわこ』2017.12

 

きのこ汁あれというのはあれですか  北村 幸子

はさまっていると安心する子供      〃

 

うふふな句。「きのこ」が効いている。そう、「あれ」は「あれ」だし、子供は隙間で挟まっている。私も暫く挟まっている。

 

桃色に水を足したら消えました    金子 純子

 

なるほどねー。と、少し考える。「桃色」だから消えたのですね。

 

どの蓋を開けてもお爺さんになる   中嶋 ひろむ

 

私もお爺さんになれるのだろうか。お婆さんの方が最強のような気もするけれど。

 

満ちて欠け欠けては欠けて来ない人  重森 恒雄

木を揺するそれが私のしごとです   峯 裕見子

もう菊は首の下など忘れ果て      〃

私です業火で芋を焼いたのは      〃

 

長いこと生きているとこういうことにもなるのは知っているけれど、このような書き方をされると、自分などはまだまだだなあと

素直に思う。私もいずれは「来ない人」になる。首の下など忘れ果てて。

 

 

 

 

 

『川柳 北田辺』85回

 

この日は台風がやって来ていて、電車が止まるようなら欠席するつもりだった。天気予報をチェックして、

大丈夫そうだったので出掛けたものの、当然のように出席者は少なく、ニュースに気をつけてばかりいたせいか、時事吟みたいな句ばかり書いてしまった。

 

錠前が壊れ止めどもなく希望     竹井紫乙

ともすればりんごの皮が終わらない   〃

星条旗ですか煮詰めたジャムですか   〃

 

泥ソースたっぷり塗って抱きしめる  酒井かがり

フライパン揺すれば乙女も祈りだす   〃

 

          すぐに泣くので冬草の刑とする     きゅういち

 

 

 

 

『ふあんのふ ふしぎのふ』高橋かづきフォト句集

 

「杜人」の記念句会のお土産として、参加者全員に配られた。

かづきさんの写真、エッセイ、川柳が収められている本。

 

写真がとても面白い。句会場ではかづきさんと同じテーブルだったので、写真お話を詳しく伺うことができた。プロの写真家ではないそうで、趣味で好きなものを好きなように撮影されているらしいのだけれどその自由さが存分に発揮されている。

 

かづきさんは関西人なので、エッセイで書いておられる内容はとても共感できるものが多い。阪神大震災、家族、川柳、その他色々なテーマで文章は展開されてゆく。後ろ向きな態度とは無縁なようで、かといって特別に前向きというわけでもなく、その日その日を大切に生活されているのだろうということがうかがえる。

 

絶望を分解するとすごい虹

夕焼けをなにもつけずに食べている

覚えてはいないだろうが抱きしめる

病院の窓から手だけ出してみる

完璧な大人の匂い血の匂い

血が滲みガーゼうっとりしてしまう

天気売り あやしげな晴れ売りくる

赤ん坊なにも持たずに出奔す

挑むように桃を眺めておりました    高橋かづき

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大阪は中崎町の「葉ね文庫」さんで、榊陽子(川柳)✖利便堂(漫画)の

作品5つが展示されていて、最終日に出掛ける。

 

久しぶりに行ってみると、川柳の本がじわじわ増えている。

久保田紺さんの第一句集が一冊だけあったり。もう残部が無いと思って

いたので、入手できた人はラッキーかも。

 

基本的に短歌の本が多い書店だけれども、詩の本もとても充実している。

 

展示企画担当の牛さんが来店されていたので、今回の組み合わせについて

お話しを伺うことができた。

 

利便堂さんの漫画は5コマ。そこも面白いと思う。句とよく合っている。

欲を言えば、もっと作品の数が多いといいなあと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『川柳スパイラル』創刊号

 

創刊号というものを、柳誌ではあまり読んだことがない。だからその辺りがどんな風なのか

興味があってページを繰る。これからどんどん試行錯誤してゆくのかな?

 

はろー、きてぃ。約束の地にまるく降り立つ  柳本 々々

わたしだけここに残って貰うパン         〃

 

枡の町壊れた兄を売る順路          川合 大祐

 

繋がれていますとはっきり言ってやれ     石田 柊馬

 

蜘蛛降りて少女の肩に網を張る      小池 正博

 

狩人として特急を仕留める日       飯島 章友

 

たぶん彼女はスパイだけれどプードル   兵頭 全郎

暗号を受け取るATMの列          〃

殺すのは声だけにするスタジアム       〃

 

銀河にはわたしがあと十五人いる     本間 かもせり

 

泣いてくれないか器がひからびる     千春

 

 

 

 

『川柳 びわこ』2017.11

 

食欲の秋、ということで順調に肥えてきた。

美味しそうな句がちらちら目の端に引っ掛かる。

 

いつまでも桃の匂いが指先に     高橋 かづき

 

しにがみと夜食をたべてたのしんだ  内田 悠葵

 

過去形なんですね。

 

方言を使った句、というのは関西で川柳に関わっているとよく出会う。微妙な所を表現するには便利な反面、他の地域の方々には

そこを汲み取るのは難しいのではないかな、とも思う。読むよりも聴くほうが面白さは伝わるかも。

 

ひらひらも薄うに切って飾るのよ   宇野 文代

脇役やしひらひらしててかまへんか  北村 幸子

ひらひらについて行ったらあかんのえ 峯 裕見子

 

題が「ひらひら」。関西人は、同じ言葉を二度繰り返す、という話し方の表現を頻繁に使う人が多い。この題に対して、普段の

話し言葉のような句が沢山現れるのは、この繰り返しのせいだろう。ちょっと可笑しい感じ、がどの程度理解されるのかについて

興味がある。

 

誰も来ぬこの世の門の前を掃く    重森 恒雄

ふときみを忘れ小鳥を抱いている   中嶋 ひろむ

ごくまれにですがおとこを忘れます  徳永 政二

 

忘却。というのは一種の救いなのだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『川柳の仲間 旬』2017.11月号

 

 

庭先で三島由紀夫の花揺れる    桑沢 ひろみ

 

積み残すものがあっても船出せよ  大川 博幸

幸せの代わりに水をあふれさせ     〃

 

挨拶吟のような趣きがある。とても静かな幸せ。

 

 

スタバのかみさまむねかくさないでよ   千春

子をつくる夢を見た日に杖を見る      〃

 

タイトルが「千春起動」。映画のような連作のような日本昔ばなしのような。

 

十二単を着てやったんだ 下がれ    樹萄 らき

無はどこだ襖どんどん開けていく      〃

触れるなら表面的にしておくれ       〃

 

何というガードのかたさでしょうか。脱いでも脱いでもまだ着物。

 

 

 

 

 

 

『川柳 杜人』」2017 秋 255号

 

虫の句が多かった。むし。苦手です。句にすると、気持ち悪さが軽減するのが不思議。

 

 虫うごくここはわたしの家らしい  佐藤 みさ子

 

 誤作動を起こすかぶと虫夫婦    加藤 久子

 

 口裏を合わせていざるあぶら蝉   水本 石華

 

『川柳 びわこ』2017.10

 

桃缶を食べる今日は一人です    浅野 忍

 

「桃缶」が好い。甘い孤独。

 

音だけの花火おまえを手放して   北村 幸子

母さんの暗渠かすかに水の音      〃

 

静かな諦念だと思う。けれどそこで途切れるわけではなくて、水脈は細々と続くのだなと思わせる。

 

まだなにかいいたいことがある蝶々 泉 明日香

 

折り溜めた鶴に埋もれて鶴になる  大海 幸生

 

どうしようもないことが積み重なるということ。それは捕まえられない蝶であり、飛ぶことのない鶴。

 

誰かいる森へ入ってゆく小窓    重森 恒雄

ひらがなが来るので空けておく土日   〃

ひらがなのしが書けません死ねません  〃

 

シュールー・・・。素晴らしい小窓。

 

人体模型のひとつ余っている臓器   峯 裕見子

虫のようでした女を待ちました     〃

もう虫に戻れそうなのりりりりり    〃

 

物凄い生々しさと同時に突き放された感じもあり。「女」はなかなか謎だと思う。深読みしようと思えばどんどんできるし。

友達、親族、初めて会う敵、或いは生理現象かもしれず。「虫」も同じくただの虫とは読めない。

 

 

 

 

 

『川柳 北田辺』84回

 

アットマーク付けて心臓豊かなり    中山 奈々

常温で保管しておく散歩道       森田 律子

散歩から戻る鯨を引きつれて      きゅういち

反省はしない翼が生えるでしょ     酒井 かがり

人形の靴下を嗅ぐ昼の月        きゅういち

偉そうにあばよにかける味の素     岡田 幸男

ペガサスのくせにとってもさみしそう  くんじろう

イノチ預けよ恋せよパンダ       山口 ろっぱ

かげろうの山にかげろうのくま     小池 正博

 

今回の題は「早い」「革命」「もじもじ」「躱す」「よもや」「アッ」「さんぽ」

「節」「イヤ」「限定」「人形」「チョモランマ」「くもですか」「動」「あばよ」

「お湯」「酒」「馬」「ばっかり」「星」「くま」「レモン」「差」「転」「ぴん」

「舟」「こちら」

 

多いなー。月に一回くらいはこれぐらいのことはやっておいたほうがいいような気もするけれど。勢いが要るなあ。

「チョモランマ」と「くもですか」、「あばよ」はけっこう難しかった。「くもですか」って・・・。雲?句?何?

 

  革命を一人で終える高架下

  肥えてゆく八百八橋かわしつつ

  星屑を糸で繋いでゆく散歩

  人形のまつ毛を抜いてゆく昼間

  お湯としてカップヌードルを愛す

  いつまでも発酵中の米である

  最後には馬肉になってゆく覚悟

  面ばかり揃えて幕が上がらない     竹井紫乙

 

 

 

 

 

 

『川柳サイド spiral wave 2』

 

強大な堀北真希が降りて来る

鯖缶のラベルすべてに沖雅也

超獣忌祖父母の墓も駅の中     川合 大祐

 

「沖雅也」が登場する辺り、昭和の人ですね。って感じ。思い切り、書きたいように

書いている勢いが爽快。

 

覚悟には時期がありますたちつてと

人形に晒しを巻いて赤く塗る

ピエロどす孕んどるのもピエロどす  樹萄 らき

 

自己肯定と後ろ向き加減のバランスが絶妙だと思う。

 

赤土がのぞく彼女のキツネ加減

象をばらしてオルゴールを組み立てる

                   ママハハは足りているのか金泥

                   白の多いパンダと黒の多いパンダの交尾

                   少年兵の最期生クリームに突撃          酒井 かがり

 

参加者7名中、おそらく最も「句を書く」行為を楽しんだのは酒井かがりさんだろうと思われる。かがりさんの句群にはそのような空気が充満していて、それを読み手である私が快く感じる、ということはとても大事なことだ。書かれている内容や、表現方法について論じるのは普通にお勉強的に大切なのだろうけれど、読んだ時に受ける最初の波動は理屈で説明するものでもないし、波動を発していないものに心惹かれるわけもなし。

 

 

 

 

 

 

 

                     

 

『川柳 びわこ』2017.9

 

八月句会で選者をしたので、改めて自分の選句を眺める。面白い句が沢山あったので、

時間いっぱい選に費やした。題は「透ける」。句会の日にちが八月六日だったので、戦争について書かれた句が多いかなと予想していたけれど、そうでもなかった。

題のせいかもしれないけれど後ろ向きな句は少なく、人生は美しいものなのかもしれないと、一瞬思ったのだった。

 

 八月の空に透けるはエノラ・ゲイ     中村 郁枝

 メザシなんか食べてて透ける訳がない   峯 裕見子

 炎昼のもっと透けたいトコロテン     中村 せつこ

 透けぬようちょろちょろ今日も泥を塗る  松延 博子

 にごり水透き通らせてゆく加齢      宮井 いずみ

 透ける手にたしかにあった赤いわたくし  谷口 文

 きっと鬼ですよちらっと見たんです    小梶 忠雄

 透明な羽で歌っている挽歌        重森 恒雄

 透けるまで夜汽車が音を立てている    街中 悠

 透明がようやく振り向いてくれる     街中 悠

 

    

 

 

 

                   

『川柳の仲間 旬』2017.9月号

 

藤井君の頭かぶって鳥瞰図   竹内 美千代

 

おそらく、現実の光景を見たまんま書いた句なのだろうと思われる。現実って、

思いのほかシュール。

 

大祐君踏みつけてまで休息日   千春

 

これはいくら何でもそのまんまじゃないはず・・・。休息は大事ですね。

 

性欲に似たプラモデル買い帰る   川合 大祐

 

これ、うまい句だ。と思いました。隙がない句には何も言うことはないなあ。

 

迷惑にならないうちに水を飲む

最初はグーそうか蕾になって来た  小池 孝一

 

夏祭り体全体アホになる

街がすき傷口深い海もすき     池上 とき子

 

自分自身に言い聞かせるような句の書き方で10句。それぞれ「夏の日」「夏本番」というタイトル。なんだか爽やか。関西の夏と

違って、長野は湿度が低いのかな。

 

向日葵に睨まれたのでひきこもる

あてのない旅に出るためローン組む

寝るために地面の底に這ってゆく

五十年に一度の雨が今日も降る   大川 博幸

 

こちらは「2017の夏」というタイトル。いつも通りストレートです。そして、あついです。

 

夕立に癒やされるとはいとおかし

悪いがな奥歯に挟んで言ってくれ  樹萄 らき

 

かっこいいのかカッコ悪いのか、微妙なラインに立ち続けているのがらきさんの句の特徴だなと思う。いとおかし。

 

田に写る月はわたしのネオン街   丸山 健三

 

堅実。月の美しさが鮮明にイメージできる。

 

洗う皿見ているようで無を見てる

排水に吸い込まれそう午前二時

このオイル使うときだけお姫様

明日しか考えられない人種です

炊飯の音だけ聴いて眠る夜     桑沢 ひろみ

 

「主婦」で10句。非常にわかりやすい句群。私は主婦業をしたことはないけれど。一人暮らしでする家事と、家族がいて主婦として

行う家事と、どこが違うかと言えば自分以外の存在の為に働くという点が一番の違い。生真面目な人は追い詰められるような気持ちになることもあるだろうなあと想像することは、私にもできる。そしてその労働を句にしたものを読んで、心を動かされることも。

 

 

 

 

『川柳 北田辺』第83回

 

くんじろうさんの出す題は、うまく考えられている。題詠の題は何でもいい、という

わけではない。面白い句が出る題の方が句会は楽しいし、理詰めの題が多いとどうしても

閉塞感が充満する。

 

今回、くんじろうさんの出した題は「油」「すかすか」「押す」「だとしても」。

席題で出席者がそれぞれ出した題は「先代」「計画」「そのかわり」「限定」「いぼ」

「そそくさ」「頭皮」「あご」「秋雨前線」「浮く」「スッと」。

 

抱きしめはしない揮発油なんだから  酒井 かがり

桃太郎が出るまで桃を割っていく   竹内 ゆみこ

空蝉と気付かずスナックに誘う    くんじろう

海渡る/同族嫌悪/百合の花      いなだ 豆乃助

 

 

『川柳 北田辺』第82回

欠席している上に投句もしていないので、「お品書き」を眺めて美味しそうだなあと思うばかり。今日は試しに題と作者の欄を見ないで、句だけをひろってみる。

句会は題ありきなので、披講を聞いていても題のこと、を当然考えてしまう。

 

青い目の人魚と湯治場へ通う   中村 幸彦

端っこが少し捲れている夜空   くんじろう

お釣り10円は夜空から出します  井上 一筒

生傷の日々を双眼鏡で見る    きゅういち

 

下腹部がおもはゆいプラネタリウム  酒井 かがり

上等の痙攣を仏壇に供える        〃

毎日を黒く塗りつぶす母で        〃

 

かがりさんがぶっちぎりで不穏な感じ。

 

 

 

 

 

 

『川柳 びわこ』2017.7と8

 

情けない話ではあるけれど、あまりにも疲労していると、句を書くことは何とかできても、他の人の書いた句を読むことがかなり難しい。それぐらい、私の夏バテはひどいと言えるし、読む行為は力が要るとも言える。

 

三十度夏あちこちにだらしなく   谷口 可珠子

性格はとても陰気な熱帯魚     竹内 知子

中一とまったりしてる代休日    谷口 文

一日をいちにちかかり縫っている  中嶋 百合子

 

雨の句が多かった。雨に濡れるのは好ましくないものの、雨降りの日はそんなに嫌いではない。傘をさすのが好き、という人も一定数いるかもしれない。雨の音は無視できない主張の強さで、他の雑音が聴こえなくなる。雨と自分だけの世界になってしまう。

 

「雨」の点も希望の数と思いたい   畑山 美幸

雨粒は遠くから来たお客様      金子 純子

雨続く甘い和菓子が食べたくて    森谷 百合子

錠剤と雨の気配を聞いている     山本 知佳子

 

笑っている場合ではないのだろうし、ふざけて受け狙いで書かれたわけではないのにおかしい句というのがあって、よくよく考えたら深刻。

 

「いらっしゃいましっ」と店先のオウム  高野 久美子

おばあさんと呼ばれて返事できますか   石井 道子

薬だと思ってここへいらっしゃい     小梶 忠雄

カスカスのりんごとスカスカの対話    中村 郁枝

 

現実と付かず離れず、くらいの位置で書かれた句。距離感が絶妙。

 

抽選に当たってひとり立たされる     月波 与生

詩人より観念的な鳩の群れ          〃

空腹のポスト「アヴェ・マリア」を歌う    〃

あじさいの根元に埋めてもらえそう    北村 幸子

かさぶたがベンチに深く座っている    街中 悠

 

 

 

 

 

 

『川柳の仲間 旬』2017.7月号

 

自分で闇カジノをつくったら負けつづけた

無駄に咲く花と以下同文の星

扉を開けたら暗闇だったので中にいれた

カベたたくニャーと応えるまでたたく      大川 博幸

 

連作のタイトルは「心のな闇」。スットレート!あくまで後ろ向きな句群なのに悲壮感ゼロ。湿度が無いんですね。

 

天気雨 惑星 誘惑 手毬唄

鼻緒が切れたきっと物語は続く

ワタシハアナタガキライデシタ デスネ

ムーミンの声が変わった乾く脳        樹萄 らき

 

タイトルは「雨」。だけどこちらも乾燥している。「デスネ」にやられた。

 

妻さがす市場に並ぶ人の皮

ガンダムに足から乗って去った妻

妻去って吾妻ひでおを金で買う        川合 大祐

 

「妻」。今号は千春さんの詩が掲載されていて、何だか川合夫婦特集号みたいだなあと思った。ちゃんと読み物として、面白かった。千春さん、えらい。

 

今日もまた冷たいレタス抱いて寝る

いつまでも千切りをして待っている      桑沢 ひろみ

 

台所の底なし沼。

 

足跡を描く絵具を買いに行く

手を洗う水から神は諭させる         丸山 健三

 

何だか正座したくなってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『川柳 杜人』254号

 

山河舞句追悼号、と表紙に印刷されている。

広瀬ちえみさん抄出の舞句さんの句がずらりと並ぶ。237句。

意外にも句集を作っておられなかったとのこと。

舞句さんが自選から外した句群から、ちえみさんが抄出しているページがあって、私はその句群がとてもいいな、と思う。舞句さんといえば社会吟の人、という印象が強かったけれど、今号でそのイメージはちょっと変化した。

 

 

       

            スサノオに遅れし人を父という

            善人が押され最前列に出る

            津軽では津軽の貌にあこがれる

            靖国で一人芝居をして戻る

            紙ヒコーキを待っているのは水たまり

            満員の電車で揺れている死体

            悪人に逢いたし冬の縄のれん

            家系図がぷかりと浮かぶ春のダム

            綾取りのもつれを切っている鋏

            ひけらかす昔話のないスルメ

            銀行へ這っていこうとしたミミズ

            ハイという返事をしなくなった雪

            こけしの首をきゅっと鳴らして春にする     山河 舞句

 

 

 

 

 

            

 

 

『川柳 びわこ』2017.7

 

編集後記に徳永政二さんが書かれていること。

 

若いということは才能だと思う。

 

時間が才能であると自覚する人は少ないがぼんやりしているとすぐに過ぎてしまう

 

日々の密度を濃くすることは、何歳になってもできると思うけれど「時間が才能」とまでは考えたこともない。

ただ、ぼさーっとしていれば年老いるのはあっという間だろうな、くらいのことはわかっていた。一般的には女性の方が男性よりも「老い」に対して敏感なのだそうだ。私自身の感覚では25歳くらいが「若い」のリミットで、ちょうど川柳に出会ったのがその頃。

 

川柳の世界は年齢層が高いので、確かに周囲の人達との年齢差はあったものの、世間的に見ればもう自分は若者ではないし、それが強みであったり、才能であるとも思わなかった。ただし、面白いと思えることに出会う年齢が早ければ早い程、そのことに現を抜かす時間は当然長くなる。そういう時間を多く経験してきたことは財産だと言える。

 

私は社会にとって何の役にも立たない、無駄なことばかりやって死んでいくのだろう。でも無駄なことは面白いのだ。

 

「水郷」

 

 悪運を使い果たして水郷へ      月波 与生

 これ以上水郷をさわってはだめ    森口 ゆめみ

 日常を脱いだら水郷の目線      宮井 いずみ

 水郷が匂う分厚い時刻表       北村 幸子

 水郷めぐり水のにおいを持ち帰る   安井 茂樹

 

 「びわこ」らしい題。水郷は海とも河とも違う。どの句も清らかにたゆたっている。私は水郷に沈んでしまいたくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

『川柳 びわこ』2017.6

 

 

適当に結んだ糸が解けない       中嶋 百合子

 

テキトーっていうのは、どのくらいがてきとうなのかが難しい。しかも

適当なのに解けないなんて、かなりホラーな状況ではないだろうか。

 

エレベーター乗れない象がいつも待つ  月波 与生

 

乗れるわけないでしょ、と言ってはいけない。待つ行為は常にロマンティック。盲目状態は一種の幸せ。 

 

今日の私は私をうまく使えない    徳永 政二

 

「今日の」がポイント。じゃあ昨日は?明日は?いつもは?本当は「今日の私」ではなくて、「永遠の私」なのだろうと思う。

この句はどうとでも読むことができる。ずるい書き方なのかと言えば、そうではない。徳永政二さんの句はものすごく褒める人と

けなす人がいる。川柳性とは一体何なのか、ということを読む側に問いかける句を沢山書いておられるけれど、別にご本人はそんな

ことに重点を置いてはないだろう。この句は名句ではないかもしれないけれど、とっても川柳。

 

ただぶらりぶらりと夜の街痛い    笠川 嘉一

さわやかに痛いところをふれられる    〃

 

うまいなー、と思う。言葉の選び方に無駄がない。あざとさもない。でもちゃんと、痛い。

 

出て行った人を覚えている扉     木村 正夫

選択の余地はなくなり開くドア      〃

 

木村正夫さんは4月26日に亡くなられたと書いてある。はっきりものを言う、きっぱりした人だった。木村正夫さんの句を誌面で読むのはこれが最後。闘病生活はとてもしんどかっただろうと思われる。最後にお会いした時も、苦しそうだった。お世話になりっぱなしでさようならなのだ。今回は「扉」の句が二句。どんなお気持ちで書かれたのだろうか。

 

はったいこきなこ やがてを受け入れよ   峯 裕見子

 

生かされているのは人間の背中       ひらが たかこ

永遠の切れ目に蛇を泳がせて           〃

 

扉ドア。はったいこきなこ、背中、切れ目、蛇。「喩」の世界のようにも見える。あっという間に解体される世界なのだとしても。

 

 

   

 

 

 

 

 

    

『光の缶詰』松岡 瑞枝

 

一度だけ、松岡瑞枝さんにご挨拶したことがある。『川柳大学』東京句会の会場にて。

この句集が出た後で、皆が「とてもいい句集だ」と褒めていた。それで誰かと一緒に簡単な

挨拶をしてみた。ボーイッシュな感じの、かっこいい女の人だった。

句集を読んでみたいなと思ったけれど、なぜだか買うことができず、実物すら目にした記憶がない。だからきっと、すぐに売り切れたのだと思い込んでいた。

あざみエージェントで取り扱いが告知されて、増刷したのかと、すぐ注文を入れたら初版本だったので、一体どういうことなのか少し不思議。私は現在、松岡さんが句作を続けておられるのか、やめてしまわれているのかすら、知らない。

 

この句集は平成13年の発行。この頃の松岡さんはちょうど今の私くらいの年齢。勿論、知っている句も沢山あったけれど句集として

編集されたものをまとめて読むと、ものすごく懐かしい空気に包まれるような気がした。紛れもなく、松岡瑞枝という書き手の句集なのだけれども、そして時実新子の序文のタイトルは「異質の光」であるにも関わらず、時実新子の匂いが濃厚。

 

平成13年に読むのと、平成29年に読むのとでは印象が違ったかもしれない。今なら実際の年齢差は関係なく、同年代の人が書いた句集として読むことができるのだ。

 

松岡さんがもし、まだ川柳を書き続けているのだとしたら、現在の句を読んでみたい。

 

泣く程のことか飴玉押し込まれ

仕事ですからとおもちゃになるお猿

よろよろと手の鳴る方へ奴らの方へ

言い返すいいえわかりませんとだけ

叱られた猫がくわえてきた小鳥

なぞなぞを解く赤くなる青くなる

獅子唐の一つは模範的辛さ

抜き取っておく折紙の金と銀

人形を焼く新しい服着せて

そこにいて下さるだけで山田さん

もの言わぬ兔の凄まじいダンス

泣きながら取る二番目にほしいもの

美しいものを最後に見た目刺し

お別れに光の缶詰を開ける         松岡 瑞枝

 

 

 

 

 

 

『川柳 びわこ』2017.5

 

会員の近詠のページが春であふれかえっている。花にまつわる句は勿論のこと、そこはかとなく、やや、浮かれ気味という感じ。これは仕方のないことかもしれない。病み上がり状態の五月初めに読むと、物凄いアウェイ感を感じるのは私だけ?

 

訃報が流れる漫才師の額   深川 さゑ

 

「額」ね!確かにテロップがおでこにかかってる。クール。

 

転生が済んだかりんごたべてみる   月波 与生

 

りんごで判断出来たら怖い。「転生」と「りんご」は上手い響き合い。

 

生きよ生きよと草間彌生の水玉は   峯 裕見子

鳥としか話せぬ者になっている      〃

 

どういう方向性であっても、生き延びるということは一番大事だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『川柳の仲間 旬』2017.5月号 NO・211

 

読むページがいつも充実している川柳誌。参加者全員のコメントが読める、というのも

ちょっと珍しいパターンなのかもしれない。アットホームな感じです。

 

動かない幸せ うごくふしあわせ   大川 博幸

幸せを買いに今日もコンビニへ    池上 とき子

庭で聞くうぐいす墓に来てくれた   竹内 美千代

隣家から水をもらって咲いた花    丸山 健三

握りめし前を見るのはいいことさ   小池 孝一

 

幸せは色んな種類があるので、「幸せ」という言葉を句の中に使ってしまうのは難しいなあと

思っている。博幸さんの「幸せ」と、とき子さんの「幸せ」は違うな、ということはわかる。

並べて読んでいると不思議な気持ちになる。鳥、花、お米にまつわる幸せは朴訥で好い。

 

列乱し大人びていくすみれ色      桑沢 ひろみ

ツイードを青空で割る独活でいる    丸山 健三

ひめごとはおひるにするとやわらかい  千春

嚙む速度遅くて生きていきたくて    樹萄 らき

 

すみれ色と言えば、曖昧な感じがして子供の頃は苦手な色のひとつだった。そう、子供は曖昧なものが嫌いだ。曖昧の分量が増えてくるということが、大人になることなのかもしれない。  「青空で割る」ことも句では可能。という清々しさ。

最後にひめごとをおひるにしたのは一体いつだったろうか。やわらかかったのだったっけ。そう言われればそんな気になる。

嚙むことの速度について意識的になるのは、体調のすぐれない時。食事は生きる意志そのもの。

 

サイドカーの対義語は蛭子能収     柳本 々々

電話して頼んでおいた蝶の肉        〃

あったかくするのに猫を追加する      〃

 

タイトルが「暗い人間」。タイトル通り全句、暗い。とはいっても暗黒というわけでもなく、蛭子能収の漫画みたいな暗さ。

ツッコミを入れることができる隙がきちんと確保されているので、風通しは良好。

 

家計簿に詩のようなもの零次元     川合 大祐

われわれは人類である無頭海老       〃

機械から産まれた機械 父の園       〃

男性を愛蔵版の如く焼く          〃

七音が五音に変わる呪文集         〃

歯を研いで宇宙生物食堂へ         〃

 

川合大祐さんは阪神タイガースがお好き。私は大阪生まれ大阪育ち、けれど必ずしも阪神ファンではない。幼少時関西には南海ホークス、阪急ブレーブス、近鉄バファローズ、が存在しており、阪神一色ではなかった。にもかかわらず、「阪神首位」という報道を目にすると、反射的に不安でいっぱいになるのである。何故か。長年の経験により、シーズン前半の勢いが良いと後半の失速が予想され、周囲の人々の落胆する様子が連想されるからである。全然、阪神ファンではない私がこんな風ということは、野球が好きな人というのは毎日どのような心持ちで日々を過ごすのだろうか。という一生解決されないであろうもやもや感溢れる連作。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『MANO』第20号

 

終刊号。川柳誌、結社、には長寿のところもあれば短命のところもあるのは何処も同じ。

商業出版でない場合、また会員数が少ない場合、運営方法はかなり自由だろう。

こちらは20年で20号、なのだからもう、部外者の私には想像もつかないような紆余曲折が

あったのではないか、と勝手な妄想。

 

最後にふさわしく、佐藤みさ子さんの「おわり」というタイトルの20句から始まる。

みさ子さんはエッセイのページのタイトルも「終わります」なので、内容は全然笑えない

のに、私は目次を見てなんだか可笑しくて笑ってしまったのだった。見も蓋もないな、と。

 

参加者は4名と少ないけれど、力のある書き手ばかりなのでとても読み応えがある。

評論では小池正博さんの「佐藤みさ子ー虚無感とのたたかい」が面白い。「虚無」というものをどう捉えるかは人によって微妙に違うような気もするけれど、論者独特の体当たりなのかもしれないなあ、などと思いつつ読んだ。

 

樋口由紀子さんは「言葉そのものへの関心」というタイトルで俳人の鴇田智哉さんを取りあげている。この論自体が現在の樋口由紀子の立ち位置そのものを示している、ということなのだろう。川柳誌の終刊号に、編集人が最後に掲載した文章であるということに

意味がある。このような表現のやり方もあるのだな。

 

 

いつもだったら、掲載句を抜き出したりするけれど、4名の作品は全部素晴らしかったので、しない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『川柳 びわこ』 2017.4月号

 

句会での題は、どんな題でも勉強になるものだけれど、川柳にすると面白い句が沢山出来上がる

という題もあるもので、今回は「くらげ」がそれにあたる。

 

辻褄があわなくなってくらくらくらげ   街中 悠

がんばってみますくらげであることを   徳永 政二

くらげになったことを察してほしい    伊藤 こうか

お母さんはくらげそのお母さんもくらげ  安井 茂樹

くらげかなたましいかなと手を伸ばす   峯 裕見子

 

他にもおかしい句が沢山。人間はくらげが好きなのだなあという発見。

 

 まんべんなく青みがかっている日記   北村 幸子

 しびれてるうちに次のがやってくる   和才 美絵

 ふりかえる今日へサバの水煮缶     ひらが たかこ

 雪見てる雪がどんどん積もるから    安井 茂樹

 ぞうさんの歌と迷子になってゆく    山本 知佳子

 温まる猫と猫とに挟まれて       清水 容子

 

 明るい諦念というのは静かなものなのかもしれない。

 

 父を沈めて深層水の青びかり      太田 のりこ

 ビニールの袋を持って立っている    徳永 政二

 

 どう書いても、何を書いても、いいのですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『おぼろ夜情話』鈴木 節子

 

 

 

「杜人」と共に届いた鈴木節子さんの第二句集。

 

「川柳大学」でもご一緒させていただいた時期があるけれど、遠方同志なのでご挨拶する機会は  なかったように思う。八十歳になった自分を想像することはまだ難しい。きっと、死んでるんじゃないか。

 

 

 

  革命を考えているおばあさん

 

  缶ビールあやうき星に住みながら

 

  漏れている色も匂いも音もなく

 

  土嚢に詰める 桃の咲く村

 

  最終処分場は円周率の旅

 

                陽を呑んで陽を吐いて海 こともなし

 

 

 

 第一章「あやうき星」は社会吟。後半は宮城県に暮らす方なら避けては通れない東日本大震災がベースになっている。個人的には句集タイトルは「あやうき星」でも良かったのではないかと思う。けれどそうしなかった所に、作者の意思がある。被災地のことを句にすること自体難しいことで、書きたいことは山のようにあって当然ながら、そこをどう抑制してゆくか。選句は難しかっただろう。

 

 

 

 鏡見て愕然残高を見て憮然

 

 寝る前に飲むしあわせになる薬

 

 お雛様白髪が少しありますね

 

 触れもせで先生齢のせいと言う

 

 触れないでわたしは熟しすぎの桃

 

 目覚めたら九割引きになっている

 

 お静かに泥水はいま澄む途中

 

 

 

同性として、最も興味深かったのが「女世帯主」。章タイトルも直截。

 

 

 

 ノックしているのは美しい蹄

 

 背なを刺す針は快感 箱の蝶

 

 奥の間でこっそり飼っている牡鹿

 

 

 

美しい句が配列された「おぼろ夜情話」。

 

うっとりの時間が約束されていて、素敵。

 

 

 

 

 

『川柳 杜人』2017春 253号

 

毎号、内容が濃い柳誌。今回は特に濃いなあと思う。色んな人に無茶振りをするのが広瀬ちえみさんの得意技なのではないかと思うのだけれど、「川柳と遵法」というテーマで飯島章友さんに原稿依頼したものが掲載されている。飯島さんなら書ける、ということであろうけれどまとめるのは大変だっただろうなと思う。私は定型を不自由と思っていないし、思ったこともないので、読んでいてとても面白かった。中八については様々な意見があるらしい、ということは知っているけれど、

「できればやめときましょう」くらいのゆるい感じで当初教わったように記憶する。中八だというだけの理由でその一句を否定するような人に出会ったこともない。二句一唱の書き方もあるわけだし。

 

別のページでは水本石華さんが、川柳人にとっての「季語」について書いておられる。

 

実作や選評において、季語の問題が殊更に取り上げられるというような場面はなかったし、おそらく無意識レベルで処理されているのだと思うが、一句そのもの、創作プロセスで、ないはずはない季語の軋みを、今後は聴き止める耳を持ちたいと思った。川柳人が陥る季語のあいまいな使用、意識されない効果に自覚的になることで、川柳の風景も少し変わるかもしれない。

 

個人的には中八のことよりもこちらの方がもっと興味深い。立ち位置が違えば読み方は変わる。それは私にとっては読みの自由ということだけれど、その自由は誰にでも納得いくものでもないのだろう。

 

ギザギザとぎざぎざおなかすいたわね

触れなさい色の女王が通ります      広瀬 ちえみ

 

目の高さに蕾を七つ見つけたり      大和田 八千代

 

三月の万灯籠が逆流す          山河 舞句

 

顎に手をあてて支える春景色

顔が隠れるまで注ぎます鍋の水      佐藤 みさ子

 

日に幾度はるはるはると呼んだやら    浮 千草

 

死はすこし遅れて冬の橋を越す

宇宙人の眠りが多分まだ深い       都築 裕孝

 

隙間からなだれ込まれて動けない     鈴木 せつ子

 

大安吉日しきたりという筆を持つ     宮本 めぐみ

 

法的に言えば流れ弾にて事故死      鈴木 節子

 

手と足の成り立ち鉄のフライパン

風花と漂うそれなりの腹筋

きんぴらごぼうになり損なったおじいさん 加藤 久子

 

吊革に揺らされているお父さん

殿様の髷の乱れが気に掛かる       鈴木 逸志

 

 

 

「杜人集」のページに石田都さんを発見。嬉しい。

 

鳥籠はこぼれるように出来ていて

路肩より崩れて春の五体あり

明るい廊下を注文して お昼       石田 都

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長い間、風邪をひいても軽症なので病欠扱いで欠勤していなかった。

今回は人生初の腰痛で、安静にしていなければならず、しかもやたら疲労していたせいか

眠く、寝ても寝ても眠く、しかもさほど疲れが取れた感じもしない。大丈夫か、わたし。

 

それでも熱があるでもなし、目を覚ました合間に積み上げてある本を手に取っている。

こういう時には短詩、特に川柳は一番良い。『川柳ねじまき』はあちらこちらで皆さんが句の

引用をしていたり、話題になっているから、まるで読んだような気になっていたけれど、実は

一ページもめくっていなかったのだった。やっと二冊まとめて目を通すことができた。たまには体調崩すのもいいか。いや、よくない。

 

すっきりと読みやすいレイアウトで、構成も他の川柳誌とは一味違う。楽しくらくに読むことができるのは、編集が上手い、以上にメンバー間の仲の良さが滲み出ているからではないかなと思った。各人の作品評が句の真下に置かれており、そこを先に読んでしまうと面白味がなくなるので、目を通す順序には注意が必要ではある。

 

ともだちがつぎつぎ緑になる焦る 

代案は雪で修正案も雪         なかはら れいこ

 

風船の日々ふくらんでゆく住所     二村 鉄子

 

何度でも轢かれて蛇は消えていく

全身に切手を貼って家を出る      丸山 進

 

数百年おろし続ける下ろし金      三好 光明

 

藤という燃え方が残されている

向き合ってきれいに鳥を食べる夜    八上 桐子

 

腰かけて座席沈まぬおじいさん

ガチャガチャを回すと転がり出る少女  猫田 千恵子

 

見とどける桃の正しい腐り方

言い訳のかわりの雨を持たされる    米山 明日歌

 

そちらは雨です こちらは菫です

さざなみが聞こえるピンクのソーメン  妹尾 凛

 

父さんがそっと鑑定される夏      魚澄 秋来

 

靴踏んで、ねえ、白すぎるから踏んで  瀧村 小奈生

 

五臓六腑探しつづける鯉のぼり

仏壇の前で死んだふりしてみる     中川 喜代子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『川柳 びわこ』2017.3

 

何らかの形になる前においで     

なでているうちに破れてしまったの

どないする空が破れていくんやで   北村 幸子

 

絶妙な突き放し感。「どないする」って言われても。

 

身を畳み畳み畳んで鶴になる     深川 さゑ

 

鶴になったら、飛んで行けますね。

 

きらわれた数の金平糖舐める     月波 与生

 

うまーい。金平糖の突起の丸さと甘さに悪事がチャラになってしまう。

 

うちの鬼あんぱんをよく買ってくる

鬼とお茶飲んでる眠くなってくる   今井 和子

 

全然、鬼じゃないのに「鬼」。

 

ひらがなで書いたらおにが怖くない  笠川 嘉一

 

ひらがなって素敵。

 

 

 

 

 

 

 

 

『川柳の仲間 旬』2017.3月号

 

路地裏で鬼たたっ斬る主婦だもの   桑沢 ひろみ

 

主婦なるものになったことがないので、こういう句を読むとびびる。

 

天国はまだまだ遠い靴を脱ぐ     池上 とき子

 

近いと靴は履いたままなのかな。脱ぐって、余裕あるんですね。

 

夜の底繰り上げスタートするたすき  小池 孝一

 

繰り上げスタートはつらい。でも走る底。

 

目を閉じるなにも見えなくなってから 大川 博幸

 

今回の連作のタイトルは「あやふや」。確かにあやふや。この句を読んでいると、何のために瞼が存在するのかわからなくなる。

 

関白な椅子に座っている達磨     丸山 健三

 

怖い句だと思う。達磨自体がそもそも異形なのに、関白な椅子に座るって・・・。無視できない。

 

眠っていた、いや曇っていた頭と目  竹内 美千代

 

「、いや」の繋ぎが不思議。

 

目を開けると土手が転がってきた

ほりかえすほりかえしても弥生土器      千春

 

転がって「きた」ところが面白い。縄文じゃなくて弥生なところが面白い。

 

金子みすゞあたしは含まれているか

ひんやりと臓器が笑う花いちもんめ    樹萄 らき

 

どういう問いかけ?多分、含まれていないだろうと思います。

花いちもんめって、今時の子供はやるのだろうか。ひとさらいの臓器のつめたさ。

 

歯一本弥勒菩薩をまだ嚙める      

餞別にもらう無限の墓参券

人滅ぶあしたのジョーのしあさって    川合 大祐

 

困ってしまう現象に溢れている。

 

亜おじさんに限定された動物園

主語とか動詞とかどうでもよくて沼

誕生日ほとんど光をしていない

飛んでいる象の背中に妻がみえ      柳本 々々

 

忌日シリーズじゃあ、ないのか・・・。

「亜おじさん」には会いたくないと思う。

妻との離れ方、絶妙。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『川柳 北田辺』第76回

 

新年句会のせいか、出席者と投句者あわせて32名の参加。けっこう、多い。

 

句会報には主宰者であるくんじろうさんのエッセイのページがある。話題は一応、川柳に関わる

ことだったりする。今回は珍しく真面目な話を書いているかのように、何となく、見える。

 

くんじろうさんは基本的に他人と喧嘩しない人だと思う。皆と仲良く、楽しくやっていきたい人のはずで、そういう人だから、毎月の句会もそれなりの人数が集まるし、何とか句会が成立する。私は句会というのはそういうものなのだろうと思う。私の知る限り川柳では句会は楽しむ場であって、議論の場ではないし、その座から何を得るかは参加する人の問題。

 

それでは心許ないこともあって、小さな勉強会のような会合が、いくつも存在する。私は20代から10年くらい、有り難いことにそういう場で色んな人のお世話になった。

 

伝統系とか、革新系とか、意識して句を書いたことはない。区別する必要も感じない。言葉に対する感受性は人それぞれではあっても、ほぼ万人に表現した句を届けることができる人が師であり、時実新子だったからだ。理屈はいつでも後ろから追いかけて来る。

 

  一億はこのさみしさと相殺す      岡谷 樹

  ネコ踏んずけて遊体離脱する ふん   岩田 多佳子

  淋しそうにエレベーターの全ボタン   森  茂俊

  鯉だった頃の鱗がとってある      大嶋 都嗣子

  多過ぎて薬半分犬にやる        内田 昭二

  女一人のふとんへ三日月を入れる    笠嶋 恵美子

  試し斬りするたび唇が荒れる      酒井 かがり

  ストッキング巻きつけている冬の棒   榊  陽子

  かなぐらずかなぐりすぎず袋とじ    井上 一筒

  来る春に私の殻が捨ててある      きゅういち

 

 

  福助の一部を募集しています

  カレーから耳だけ出している子供

  まっしろな布巾つないでお葬式

  ぐしゃぐしゃになれば金糸がふるえだす

  つぶあんとこしあんがあるさめたまま

  肩掛けに何か乗ってるもようです

  枝豆が叫んだらしい台所

  ハンガーが壊れるまでのあと五分

  漬物のさびしさとてもおいしくて

  すかすかの鍋の端には牛の顔       竹井 紫乙

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『川柳サイド Spiral Wave』

 

編集・発行が小池正博さんで、ご本人を含む6名の川柳作品群+小池正博選の「現代川柳百人一句」。

 

猫を抱き上げ「この世はあの世のつづきです」

ぼくはぼんやりをしようとおもいます

犬神家の仏間で牛乳を飲む

細胞が面接にゆくと「細胞かあ」と言われる     柳本 々々

 

書き方、もだけれど6名の中で一番弾けている。やりたいことも、書きたいことも、

沢山持っているだろうし、やれる。ということ。抽出した句はただの私の好みであって、注目すべき句は他にもうんと、ある。

書きたいこと、言いたいことを全部書いてしまえるのは一種の強みだと言える。

 

 むざんやな(獄門島で覚えた句)

 (今書いた川柳すべて消しなさい)

 (好きでした)✖(獄門島で殺したい)  川合 大祐 

 

 横溝正史『獄門島』をベースにした三句。この調子で三句づつ、テーマごとの句が綴られている。山田洋二『男はつらいよ』、

 園山俊二『ギャートルズ』の句も面白かった。川合さんの句集が読む楽しみがいっぱい詰まった本であるように、今回の企画

 も色んな仕掛けがされている。

 

 巻末の「現代川柳百人一句」小池正博 選出のページが興味深かった。これは編集作業がなかなか難しかったのではないかと

 思われる。小池さんの川柳観そのものを選という形で残す作業であるし、資料は膨大で、何故数ある句の中から、この一句を

 選んだのか?を問われた時にいちいち明確な答えを用意しておく必要がある。ともあれ選はイコール選者そのものだから、この

 パターンで色んな人の「百人一句」を一覧できれば、面白いかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『月刊 おかじょうき』2017.1月号

 

杉野十佐一賞のおかげで年に一度は目を通すことができる『おかじょうき』。

今回の題は「線」。

 

桃の線無期懲役を言い渡す    板垣 孝志

どの線を引いても父は出てこない 青砥 和子

一線を越えてくるかいかぐや姫  樹萄 らき

もうとうに線から足は出ていたの 高野 久美子

生きてるよ線の通りに切ってみて 竹井 紫乙

 

今回読んでいて、一番好きだと思ったのがこの句。80年代歌謡曲に通じるどきどき感が素敵。そして色んな「線」の集中力。

 

                     頬杖は線を集めている時間   柳本 々々

 

 

「おかじょうき」の会員作品から。

 

 いちにちがするりと消える葱の白   熊谷 冬鼓

 背骨から死んでくるんだラムネ玉   坂本 勝子

 ケモノ偏から引き剥がされるまで焔  きさらぎ 彼句吾

 ケダモノは越後屋のまんじゅうで隠す Sin

 真ん中に滝を持ってる人だった    ひとり静

 

 

むさしさんの、角田古錐さんについてのエッセイも良かったです。

 

 ともだちになろう小銭が少しある

 これっぽっちの骨が人生なのかなあ

 平行線だからこの手を放せない

 雪しんしん静かに童話続いてる

 真っ直ぐに立てばどこかが曲がってる

 日が暮れて迷子だったんだと気づく   角田古錐

 

 

 

 

 

   

     

                      

『青』徳田 ひろ子

 

随分きっぱりとしたタイトル。読んだ後、何故『青』なのかが腑に落ちない。そして

変則リズムの句の多さ。様々な意味で予想を裏切る句集なのだった。

 

 

握られて両手は蝶になったまま

ため息をつくから山椒魚になる

桃色と契ったまんま留守にする     徳田 ひろ子

 

 

変身系の句も、多い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『独白』中嶋ひろむさんの第二句集。

 

ひろむさんには第三句集もある。『モノローグ』。どちらも構成が違っていて、

読み比べてみると面白い。

 

にんげんに一枚欠けている鱗    

わたくしは忘れませんと書いた門    

もやもやの中に枕がふたつある     中嶋 ひろむ

 

説明が難しいことが、色々ある。言葉が追い付かないような物事に言葉を与えると、こうなるのかもしれない。

     

どこまでも陸が続いている背中

誰もいない廊下に耳が落ちている

致死量の書物と腹が減っている      中嶋 ひろむ

 

他人の背中や耳が好きである。致死量の書物はもっと好きかもしれない。外部の世界は永遠に外部のままである。歩けども歩けども、背中は続く。落ちている耳を拾ったところで私のものには成り得ない。実感は、空腹だけ。

 

どこまでが自分か判らない柱       中嶋 ひろむ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『川柳 びわこ』2017.2月

 

雪の夜ガラスのような人が来る      森谷 百合子

 

まだまだ寒い二月。こんな人には絶対、お目にかかりたくない。

 

鼻先に浄土の香り干蒲団         大西 まさえ

 

「蒲団」って蒲焼きを連想させる。→ 蒲焼きの干物。は浄土の香りなのか。

 

 あれからずっとウサギの耳が折れている  中嶋 ひろむ

 

 これは痛々しい。ただでさえ小刻みに震えているウサギだから尚、哀れ。

 

 取り替える羽尽き月を呑む烏      重森 恒雄

 十二時を過ぎてドレスが鳥になる    月波 与生

 

 鳥にまつわる二句。いづれもこの世の生き物とはちょっとずれている。私は鳥がとっても苦手だ。

 

 えんぴつで書いてしまって消える人   峯 裕見子

 消えてゆく者を映している鏡      重森 恒雄

 

 消えてしまう人のことを書いた二句。どっちが怖いかなあと見比べてみる。怖さの種類がやや違うから比較にはならないかと

 思うけれど、消えない人はこの世にいないわけで、どのように消えるのか、が問題なのだろう。

 

 さよならのスイッチいれるプッチンプリン

 母さんと一緒にいたい鏡餅

 注連縄を結ぶ自由になりたくて

 この店に優しいトマトはありますか

 元気さえあれば立派な琵琶湖です      渡辺 花子

 

 相反する気持ち。さよならの塊は甘くて柔らかい。一緒にいたい餅は重い。下の段の母なる餅はひび割れながら耐えるの図。

 自由になりたいのに結んで固めている縄。優しいトマトはいづれ潰されるだろう。立派じゃない琵琶湖って一体・・・。

 (ちなみに私は花子さんの句が大好きです。)

 

 雨の日は雨のことだけ考える        熊谷 冬鼓

 

 「句集紹介」のページで紹介されていた『雨の日は』から。今の自分にぴったりの句。沁みる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『川柳の仲間 旬』209号  2017年1月

 

真っ黒に染まった脳に雪が降る      桑沢 ひろみ

 

黒と白のコントラストが際立つ。雪はそのうち消えてしまうから、脳は黒いままなのですね。

 

花札の泣きの部分にあるあそび      樹萄 らき

 

花札をしたことがないので泣きの部分がどこなのか、不思議。でもあそびには何にでも泣きの部分があると思う。

 

 

みんな去ってしまった髪の毛じゃれる   千春

 

髪の毛は人間の頭にくっついている時と、床などに散らばっている時とでは、存在感を劇的に変化させる。じゃれる髪は、これまた中途半端な存在だ。あってほしいような、邪魔なような。

 

程々に貧しい親子でやりやすい      竹内 美千代

 

程々の貧しさってどんな感じなのか考える。もしかすると一番ちょうど良い幸せ加減なのかも。

 

抱きあっていれば桜も咲くだろう     小池 孝一

 

素敵。ちなみに私はこういう素敵な句が書けない。羨ましい。

 

正しくは三時に食べるのがおやつ      池上 とき子

 

がーん。

 

カーテンの向こうは海馬が降っていた    川合 大祐

 

拾いに行くべき?ぼーっと眺めているべき?

 

筋肉質のキティ遥かなるハロー       柳本 々々

 

今回は「ハローキティ忌」。々々さん、攻めてます!

 

ゆとり無いわたしはきっと根も浅い     丸山 健三

 

しおれてしまいそう・・・。ゆとりって、どういうことなんでしょう。

 

引き分けがつづいて少しずつ 下がる    

空洞ができてつぶれる 人知れず

蜘蛛の巣にかかって蜘蛛に なりました   大川 博幸

 

今回の10句のタイトルが「断層」。全句一字あけ。あいてる所が断層なんだなあ。成り行き任せ感というか、引き気味加減というか、ずれているんだから仕方ないんです。という消極的な主張の世界。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『川柳 杜人』 252号

 

全身を覆う秋色の腐食      広瀬 ちえみ

 

 秋は実りの季節で同時に腐食の季節でもある、ということを思いださせてくれる。

 

礼拝堂の裸体に包囲されている

この深さに埋める自分も球根も  佐藤 みさ子

 

 上空からの圧迫感がなかなか厳しい。潜るしかなし。

 

百舌騒ぐ人それぞれの終り方

三日月のあと従いてゆく古本屋  加藤 久子

 

 渋い。

 

 

 柳本々々さんが『おかじょうき』のSinさんの句について、〈移民の練習〉というタイトルで書いておられる。

 私自身は破調の句というのは書かないので、なかなか興味深い論だった。

 定型詩はリズムが重要な要素だ。文章中に引用されている句群は確かに、17音で構成されていないものが多いけれど

 リズムが壊れているのかといえば、そうではない。そこが書き手が「これは川柳として書いている」と主張出来得る根拠なの

 だろうと思われる。

 

  〈ヒューマン・エラー〉とは、実はひとつの〈創造〉のあり方なのではないだろうか。

 

 

  随分昔から、先人が試みてきたことでもあると思う。次の新しいエラーをさがすこと。その行為に

  「移民の練習」と名付けてみる々々さんのセンスはおとぎ話めいていて、その先の世界はやっぱり

  深い森の奥、という感じもする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

『川柳 びわこ』2017.1月号

 

 

明日を言うつぼみ私も明日を言う

ああ何か天からおりて少し春        徳田 孝子

 

炊きたてのごはんの前は春である      小西 幸子

 

 

新春らしい句。前を向くということはほんの目前の事柄に心奪われることでもある。それでいいのだと思う。

 

 

 

 手袋がひとつ乗ってる雨のポスト     川村 美栄子

 

  ただのあるがままの景を書いているだけなのかもしれない。けれど定型で書き表されたとたん、意味を含んでしまう。

  たったひとつの手袋が、ポストをかばっているような。

 

 

 不本意を夜のポストに落としてる     笠川 嘉一

 

  回収されるのかどうかわからない「不本意」。落としていくしかない夜もあるということ。

 

 

 行き着いた果ての枕は安物だった     畑山 美幸

 

  がっかりするけれど、とりあえずは受け入れるしかない時間帯に出会ってしまう安物。これを面白いと思うか、下らないと受け

  取るかは人それぞれ。この句の場合は諦念と呆れた感じもあって、軽みがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『川柳 びわこ』 2016.12月号

 

 

ドーナツをだいじに食べる木枯しと      木野 孝子

 

どうして「木枯しと」なんだろうか。このドーナツはきっとミスドのドーナツではないんだろうな。

 

眉のない顔が並んだ大浴場          飯島 ユキ

スイッチ切って闇の一部になりましょう    峯 裕見子

 

おやすみなさい。素顔にはそれなりの心地悪さがある。

 

顔に墨塗り合った 太郎は死んだ       中嶋 ひろむ

 

 「太郎」は如何様にも使える言葉。誰にでも、何にでもなれる「太郎」。

 

変わらない愛をささやくコゲチャイロ     重森 恒雄

 

 カタカナで書くと、どうしてもゴキブリにしか見えなくなる不思議。

 

おもしろい人はたいていうどんだよ

このままでいいと蛍に言いました       小梶 忠雄

 

 肯定の人生はうどん。

 

溜息を受け止め切れず百合が散る

花粉の汚れ確かにここに居た証し       大橋 啓子

 

 終わらないものはないけれど、こういう美しい最後はなかなか難しい。

 

どれだけの扉を開けた顔だろう

病室の中では薄い白がすき

しあわせとしにたいは似ていわし雲

徘徊のつもりでからっぽを探す        月波 与生

 

 探して見つかるからっぽは、すぐにからっぽではなくなるだろう。

 「しあわせ」に似た「しにたい」は確かに「しあわせ」で、秋の空のようなものだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

『川柳の仲間 旬』 2016.11月号

 

欲望のグラデーションに意味はない     桑沢 ひろみ

野の花の一生懸命死んでいる        小池 孝一

轢かれ猫目は金色にまだ光る        竹内 美千代

隣の花を見るため窓をふく         池上 とき子

引出しに折り鶴を飼うばかげていよう    樹萄 らき

魂を宿してしまう ばかやろう       千春

 

生きるってどういうことなのか、わけがわからなくなることが、よくある。

そのわからなくなる瞬間に言葉を与えると、こうなる。みたいな句群。

馬鹿げていて馬鹿野郎で意味は無いのに光っている。

 

 彗星を知らずに眠る百歳児

 貝を食う姪には姪の鏡文字     川合 大祐

 

 月光の地面にクレーターの跡

 月の石のとなり地球の石を置く   大川 博幸

 

 ふれてみる落ち葉の中の水たまり

 詩の無い枯れ木の下にあるベンチ  丸山 健三

 

 

 今号はいつにも増して読むページが面白かった。歌人のミカヅキカゲリさんの文章は前向きで素敵。

 そして樹萄らきさんの肯定力に励まされる。

 

 眼のように花火のように煮るように

 戸を閉めたあとの顔が凄い

 トランクに鮭詰められるだけ詰めて

 高品質なぼんやりを買う

 排水溝に吸い込まれゆくゴジラ幼生

 誤っておかーさーんというゴジラ   柳本 々々

 

 連作「ゴジラ忌」10句。ゴジラって何なんでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『川柳 びわこ』2016.11月号

 

 ふつうってからからになるものですね    山本 知佳子

 

 それが普通というものか。恐ろしい。

 

 ひとり食うカレーステテコにこぼす

 口だけは閉じて死にたいものである     髙瀬 霜石

 

 句集紹介のページに掲載されていた句群。句集のタイトルは『無印笑品』。

 私はまだカレーをステテコにこぼしたことはないけれど、そのうちやるんだろう。

 どのように死ぬかは当然知らない。誰かどこかの他人に迷惑かけて死ぬんだろう。

 確かに口くらいは閉じた状態の方がましかもしれない。

 

 点景のなかから水紋をほどく

 傷口の傷みに妥協などしない

 正しい発音ですが心通じない        ひらが たかこ

 

 10月の句会でたかこさんは席題「正しい」の選をされていた。私は全然正しくない句を書いてしまったけれど、たかこさんの

 披講はとても正しいのだった。

 

 ばあちゃんはときどき殺意帯びている    松宮 清

 

 ひとりだけ長生きしたらどうしよう     月波 与生

 

 半身はここにはなくてどこにもなくて    德永 政二

 

 

 不安でいっぱいになればいいのか、開き直るしかないのか、よくわからない状態で生きている。老人の殺意は相当本気だし、

 長生きは正直辛い。最初から欠けている半身に今、気づいたとしたらもう欠けたままでいるしかない。

 

 「畳」

 

 こぼしたらあかん畳の上のこと

 畳とは私の母のことである         徳永 政二

 

 畳ではなあと象にも言われてる       小梶 忠雄

 

 目かくしをされた畳の上にいる       岸和田 喜世子

 

 世間から外れてしまう青畳         片山 美津子

 

 こちらは私の選句。活字になったものを読み直して、やっぱりいいなと思う5句。何故かアウトサイドな畳たち。

 

 

 褒められて伸びるタイプのさんぽひも

 魔法陣だらけやないか商店街

 風船とぶつかる風船はあばれる

 いい匂いさせて笑ってけしからん

 噛みますと書かれて猫が強くなる

 角砂糖溶けるまでまばたきしない      谷 じゃこ

 

 「川柳スープレックス」に発表されていた句群に5句追加されたものが紹介されている。じゃこさんは多分、基本は短歌の人

 なのだろうと認識しているけれど、川柳も面白い。もっとたくさん川柳を書いてほしいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『川柳 杜人』251号

 

 佐藤榮市さんが、佐藤みさ子さんの句集『呼びにゆく』を読んで書かれた文章から始まる今号。

やっぱりみさ子さんの句は、誰が読んでも怖いんだなあということを改めて認識する。

 榮市さんは「みさ子さんの句の底を流れるのは詩ですが、美的モチーフは皆無とはいいませんが、潔癖な倫理性がベースになっています。」と指摘されている。この「潔癖な倫理性」が怖い原因なのだろうと思う。潔癖。

 みさ子さんに直にお目にかかったことはないが、お手紙をいただいたことはある。美しい字の、とてもあたたかい内容のお手紙だった。本当に怖いのはまっとうな人間というわけ。恐いもの知らずの私は「あと二冊くらいは句集を作れるのではないか、自分はもっとみさ子さんの句集を読みたいと思っている」という旨をお伝えしたけれど、今のところ、この先句集を出す予定はないとのこと。

 『呼びにゆく』の背後に存在する膨大な数の句がとっても気になるのだった。みさ子さんの気が変わる日を待つしかないけれど。

 

  

  書けないでいる。そしてソーメンすする    妹尾 凛

 

  手を拭いているけど何をしてきたの      広瀬 ちえみ

 

  人間と熊の組み合わせができる        都築 裕孝

 

  雨の日につけたベルトが外せない       大和田 八千代

 

  青い画用紙 家が居ない           佐藤 みさ子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

  

 

 

 

『川柳 びわこ』2016.10

 

 

副作用ですね昨日のメルヘンの      北村 幸子

 

かなり重症な副作用な気がするメルヘン。

 

すぐに泣くなんてサガンを知ってるの   佐久間 京子

 

なんでここでサガン?だけど妙な説得力がある。素直に叱られてしまう。

 

 

 

 わたくしの顔が落書きだったころ     月波 与生

 

 中途半端な顔の時期ってある。あのアンバランスな状態を落書きと言うなら、確かにそうかもしれない。

 

 幸せはとてもぬるぬるしてました     峯 裕見子

 

 気持ち悪い・・・。こういう幸せはあまり経験したくはない。

 

 また一つバンドの穴をあけている

 なんとなくコンビニへ行く暑い夜

 両肩へ注射している夕まぐれ

 両膝をついて引いてる墓の草

 法事終え襖三枚はめている      笠川 嘉一

 

 先日のびわこ番傘の定例句会の選をしていて思ったこと。全体的に佳い句、上手い句が多い。だから選をする苦労がなかった。

 決められた数の句がきっちり取れる。ただし書かれている句の傾向がかなり、良くも悪くも決まってしまっている。

 句の書き方、書かれている世界観がどれもかなり似通っていたのだった。だからいけない、ということはない。こういうことは

 当然、各結社ごとの特色として存在する。びわこ番傘の場合は笠川嘉一さんの句がその代表的な例ということになると思う。

 今号の5句もそう。5句で連作になっている。行間を読む、余白を読む句。読むことだけを考えた場合、とても好きな世界だ。

 句を書くという行為から考えれば、全然自分とは方向性が違う。違うし、句を書く力の差もはっきり感じる。(当たり前といえば

 当たり前なのだけれど)難しいことを簡単そうにやる人っているものだ。

 

 

 

 

 

『川柳 びわこ』2016.9

 

アルバムからやっと剥がしてもらう海     北村 幸子

 

 自由ってどういうことだろうかと時々考えることがある。この句は海を自由にして

 みせているような、記憶を開放しているような、気が一瞬するけれど剥がした後に

 あるのは自由ではなくて、空白。

 

こんもりともうしていない猫の墓       峯 裕見子

 

                     ちょっとだけ、寂しい。少しずつ忘れてゆくもの。鳥のお墓とか虫のお墓とか。

 

 犬がこけてる逆らえないものへと     ひらが たかこ

 

  私も一緒にこけている。

 

 ライオンになる日に丸を付けてみる

 逃げ道に立っていなくていいですか

 あせらない今日はきりんを眺める日    月波 与生

 

  いちいち何かを確かめずにはいられない。ライオンになるには予定日が必要だし、逃げるにも確認が要る。

  あせらないことにさえ日付が決まっている。不自由。

 

 

 ゆでられた そうか私は豆だった

 掘り続けもぐらになって消えました

 沈黙の中で苺を刺すフォーク

 溺れてるようでそこそこ泳いでる      飯島 ユキ

 

  ドライなところがいいなと思う。豆でいいのか?消えていいのか?と思わなくもないけれど、苺が美味しいことに

  変わりはなく、溺れているようで泳いでいるわけで、とりあえず一応は平和。

 

 

 八月句会の題詠から。

 

 「透明」

 

 透明になって桃缶開けてます       三輪 幸子

 

  子供の頃の夏といえば、毎日りりーの缶詰を冷やして食べていた。蜜豆、黄桃、白桃、みかん、などなど。

  缶詰の桃は透明感たっぷり。

 

 透明になって死にたいです 切に     徳田 孝子

 字が消えてゆきますとても暑いです    重森 恒雄

 

  私も。透明になりたいです。

 

 透明になりかけたので抱きしめる     峯 裕見子

 

  何も言うことはなし。抱きしめることしかできない瞬間って、ある。

 

 

 「大阪」

 

 大阪は大阪色に暮れてゆく        安井 茂樹

 大阪をころがしている舌の上       中嶋 百合子

 まな板の上で大阪ととのえる       中嶋 百合子

 大阪は何を混ぜても薄まらん       北村 幸子

 よく噛んで食べなあかんよ大阪は     德永 政二

 

 滋賀県の結社なので、生粋の大阪人はおられないだろうと思われる。けれども学校や勤務先、友人関係などで縁の深い

 方も沢山暮らしている土地のはずで、微妙な距離感が面白い。

 

 どこで死んでも勝手だけれど 十三    重森 恒雄

 

 ここで十三という地名を出すとは!絶妙。

 

 大阪の地下でこの世を見失う       中村 郁枝

 

 うまーい。私は全然平気だけれども、梅田の地下街が難しいという意見はよく耳にする。「この世」が効いてます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『川柳の仲間 旬』 2016.9 NO.207

 

終点でバスをおりないおばあさん   池上 とき子

 

 おばあさんにとっての終点と、作者にとっての終点は違う。

 終点が同じ人の方が少ないのかもしれない。

 

夏の雲そういう意見はありがたい    小池 孝一

 

 どういう意見でも有難いと言えるのは入道雲だから。

 

 ぐちゃぐちゃなピアノ音さえ見えません      千春

 

  どこで切って読むか、で微妙に変化する句。ノーマルに5.7.5で読んでみた。次にピアノで切って読んでみる。

  後者の読み方の方が面白いような気がする。音も「おん」「おと」どちらでも読める。立ち止まる句。

 

 どう出ても何を言っても落とし穴    竹内 美千代

 いつからか罠にかかっているキツネ   桑沢 ひろみ

 楽しみはめしと言う名のパラダイス   丸山 健三

 

  直球な書き方の句群。パラダイスなごはんに心惹かれる。落とし穴には積極的に落ちてもいいと思う。

  キツネは生きているのでしょうか。タイトルが「浮かれポンチ」だから死んではいないのでしょうね。

 

 新しいノート引っ掻き傷模様

 尻尾があったころ噛まれなかったな   樹萄 らき

 

  真っ白なノートにわざわざつける、透明な傷。噛まれなかった尻尾。

  めんどくさくて、でも一緒にいると楽しい悪友みたいな句。

 

 老人が南極点を持っていた

 時計からしじみが漏れている動詞    川合 大祐

 

  何かが始まりそうで始まらない世界。作者にとっての「聖」は静寂なのかもしれない。

 

 もう夏の匂いはしない、ただの夏

 猫四ツ足オレはまだ猫背

 感性の片方失くすキリギリス      大川 博幸

 

  そういえば今年は夏の匂いを嗅いだ記憶がない。何故だろう?暑すぎたからかな。

  今回の連作はどれも何かが欠落している句群なのだけれど、私も何かをどこかに落としたままのような気がする。

 

 密室で死体がやっとすこやかに

 回せば回すほど膿んでいく万華鏡

 こんなにもとぅるとぅるしているの8は

 親鸞聖人だったのに今はフリル

 初期状態コアラ最終もコアラ      柳本 々々

 

  順調に続いてゆく忌日シリーズ。今回のタイトルは「密室忌」。お見事!と言いたくなる句ばっかり。

  密室とはうまいアイデア。エンドレスに句が連なりそうでもあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

  

 

 

『スロー・リバー』川合大祐   (あざみエージェント)

 

 ぼちぼち、発売開始。

 

 まず、ぱらりとめくってみて使用されているフォントがちょっと変わっているな、と目を引く。

「カクミン」というフォントだそう。この字体は川合さんの句に合っている。フォントはとても句集にとって大事な所。

 

 句集というかたまりで読むには最適な句の集合体。実験的な句は多いけれど、難解句はない。つまり、読んでいてしんどい句がない。これは選句、編集が成功しているということだし、川合さんが長い間川柳を書いてきている、川柳を書くのが基本的に上手い人だということが窺える。思い切ったな、と思う句が多く掲載されているにも関わらず、リズムが壊れていない。伝達性も高い。

 

 

 

  (目を)(ひらけ)(世界は)たぶん(うつくしい)

 

 

 

   「たぶん」だけが()なし。他の言葉は入れ替え自由。確かなものがたぶん無い世界だけがたぶん確定。同じパターンで書かれた句がお隣のページに。

 

 

 

  そこにある言葉が響く(そこにない)

 

 

 

   句の並びがとてもうまく計算されている。次の三句は同じページに並んでいる。

 

 

 

  矛ひかるたとえばこれは句ではない

 

  盾にぶくたとえばこれも句のようだ

 

  この紙は白色しかし     空白だ

 

 

 

 

 

  ことばそのものに対しての懐疑が多く表現されている。加えて川柳について、定型について、川合さんの考えというものが句集全体を通してはっきり表現されている。一冊通して読むのがわかりやすい。

 

 

  三人で磔刑になるさみし、い

 

  れびしいと云う感情がれびしくて

 

  振り向いてごらん次の字読まないで

 

  図書館が燃え崩れゆく『失われ

 

  罪という軽い言葉よつみきつみ

 

 

 

  

 

 

 

  二億年後の夕焼けに立つのび太

 

  ドラえもん右半身が青色の

 

  風の谷少女は婆になる自由

 

  タラちゃんの聲で英霊語り出す

 

  ロボットに神は死んだか問うのび太

 

 

 

  この辺りは川合さんが得意とする部分なのだろう。描かれることのない、絶対来ない、近未来図。

 

 

 

  あまりにも天使は僕に無知である

 

  虫が居るかなしいことを忘れそう

 

  お茶漬けが冷めて千年後の朝に

 

  世界図に似せて解体される象

 

  僕の比喩たとえば君は東大寺

 

  瓶詰の天国ならぶ忌忌忌忌忌

 

  世界からサランラップが剥がせない

 

  手短なところで神になりましょう

 

  桜よりおそろしかった変声期

 

  アパートが解体されてゆく蜜柑

 

 

  だから、ねえ、祈っているよ、それだけだ、

 

  

 

  全体的に、肯定の世界だと思う。

 

  最後の句は、決まり過ぎな気がしないでもない。(大阪人の私には。)けれど肯定の世界の止めの句なのだから、これでいいのだなとも、思ったのでした。

 

 

 

  気が早いかもしれないけれど、第二句集が楽しみ。次が読みたくなりました。

 こういう句集が、ちゃんと売れるといい。特に川柳の人達に。

 

 

 

 

 

『川柳 びわこ』2016.8月号

 

わたしは医師に医師は画面に向き話す      大橋 啓子

 

こんなお医者さんばかりでは、決してないけれどこういう人も確かにいる。なんか情けないような気もするけれど、パソコンが普及していない頃だって、カルテに向って話す医師というのが存在していたわけで、医者というのはこういう所がある人種なのだろう。

 

 

水玉は積もるつもりはありません       伊藤 こうか

 

へえー。そうかな?

水玉の意思について、無理やり考える。

 

  おばあちゃんがおばあちゃんになった冬の空

  おばあちゃんはディズニーランドで待っている       渡辺 花子

 

 おばあちゃんは生まれつき、おばあちゃんではない。だからディズニーランドで待っていたりもする。

 

  流されてたね海に出るとも知らないで          竹内 知子

 

 この場合の海は、怖い。「ね」が効いています。

 

  この影を舐めたりしてはいけません           德永 政二

 

  来年はできないことをやらされる            月波 与生

 

 何だかこわい句の多い8月号。どうしたらいいのでしょうか。影。

 できないことは、ないんでしょう。きっと。

 こわいといえば、むさしさんの句集『亀裂』も紹介されています。タイトルがもう、こわい。

 

  少しずつ影に光を食べさせる

  切り株と影が何かを話してる

  青空の縫い目に指を入れてみる

  また来ると言えないんだよスミレたち

  水を飲もう水を飲もうと影が言う

  じっとりとぬれているのがわが家です

  罰として白い野菊に繋がれる             むさし

 

 

 いやー、何なんでしょう、この感じ。たまたま抜粋されている句の中からさらに私が抜粋すると、ほとんどホラーの世界です。

 でも、もっと読みたい気にもなりました。

 

  

 

 

 

 

  

『川柳 びわこ』2016.7

 

取り皿のいわしは選ばれた鰯      片山 美津子

 

弱い魚と書いてイワシ。選ばれたのは、これから誰かの胃袋に入る鰯。「いわし」から「鰯」の移行が面白い。

 

わたくしを釘一本にひっかける

こころとはこれかかすんでいるこれか  德永 政二

 

自分のこころって、よくわからない。自分に嘘をついているかいないか、ぐらいはわかるけれども、こころと言われるとさっぱり。時々、何もかもわからなくなってしまったような気分になる。確かなのは、日常生活だけ。決まった時間に起きて、支度をして、仕事に出掛ける。今の私の「釘」は好きでもなんでもない仕事。けれどこの「釘」がなければ、まともではいられない。

 

  日持ちする言葉を置いて帰ります

  あらららと崩れるようにできている

  ふわふわはふわふわだけで役に立つ     北村 幸子

 

日持ちする言葉は嫌だ。こういうもので、簡単に騙されてしまうから。崩れてしまうものも嫌い。きっとかなしくなるから。

ふわふわに、なりたいとは思う。それなりに役に立つのなら。

 

 

  ハローと言って長い階段現れる

  同じほう向いてるだけでよかったの

  階段からせんべいかじる音が降る      谷口 文

 

沢山の人の沢山の句が毎号掲載されている。読む側の問題というのがあって、やはり落ち着いた状態の時に読まなくては冷静に読むことが難しい。電車の中などは結構集中できていいものだけど、時間が短い。今日は雨が降ったり止んだりで何かを読むにはちょうどいい日。今日という日に一番、しっくりきたのが谷口文さんの句。投げやりではなくて、何だかどうしようも、対処のやりようがない、ということはある。現れてしまう長い階段も、降って来る音も。

 

 

 

   

 

『川柳の仲間 旬』 206  2016.7

 

いつもより、ページ数が多いような。公民館での展示写真の分、ではなくて読むページがやっぱり充実していました。

 

真夜中のみじめな月に囚われる    桑沢 ひろみ

 

 月は日によって、全然違うものに見える。陰惨な月夜、なら何度も目撃した覚えがあるけれど「みじめな月」って見覚えないなあ。勿論これは心象風景の句であろうと思うので、当然かもしれない。「みじめな月」を想像してみる。月だから惨めでも、それなりに輝いている。だから、囚われる。

 

 特技などない方がいいかまわない    池上 とき子

 

 まさに私には特技、ありません。ちっとも気にしていないけれど「かまわない」と言っていただけると少し、嬉しい。

 

 天然と言われ泣き顔まで微妙      樹萄 らき

 

 申し訳ないけれど、笑ってしまった。微妙な泣き顔って苦しい・・・。けど、おかしい。

 

 病巣を毒もて探る!後ずさり      竹内 美代子

 

 笑ってる場合じゃないけどこれもおかしい!病院の検査って本当にするべきなのか悩む種類のもの、ありますねー。

 

 空を見るだんだん透ける現在地     小池 孝一

 

 空と同化する感覚。気持ちいいです。

 

 寝て起きて同じ蛙の声がする

 コーヒーを飲もうとしても夢の中    大川 博幸

 

 もうろう、の10句。タイトルは「目借時」。そのまんまといってしまえばまあ、そのまんま。

 特にこの2句は朦朧加減が好きだな、と思った。この状態がずっと続くと恐怖ですけど。

 

 猫の尾の長さあしびき使うほど

 檻がある町のラーメン屋の格子     川合 大祐

 

 世界が出来上がっている10句。タイトルは「よぶ」。

 「あしびき」は新鮮でした。ラーメン屋の句は、なぜか息苦しい感じがしなくてそれが逆に不思議。

 多分、ラーメンの間延びした感じや湯気のイメージのせいなのだろうと思うのですが、よくよく考えると

 そんなもので簡単に誤魔化されてしまう自分って、どうなんだ?と自問自答。

 

 一匹に戻ることさえ空中芸

 狂ったらきれいな山も砂の色

 大量にのみこむかんじ花冷えだ     千春

 

 入院されていたと書いてあるので、その時のことを書いた句群なのだろうと思われる。

 体というのは自分のものであっても、完全にコントロールの利かない容器のようなものなので

 どこかで諦めないと無理が出る。「空中芸」ですね。

 

 愛の手を避けてあさがお伸びてゆく

 ノーコメントただ暑いから無口

 空っぽの壜に詰まった夏の風      丸山 健三

 

 ただ今我が家も朝顔を育て中。本当に、あらぬ方向へ伸びる。不可解。

 「暑いから」は、立派な言い訳。今日も猛暑日。

 三句目。さぞ熱い壜だろう。倒れそう。

 

 かっこいいカフカ走る走る走る

 音質を変えたいために風邪をひく

 能面を鞄のなかに入れている

 手伝ってほしそうな眼のスフィンクス

 Ⅰcan't see  わたしはあしたカフカです   柳本 々々

 

 タイトルは「カフカ忌」。々々さんの忌日シリーズはどこまで続くのか、楽しみ。

 色んな次元の変身があって、小さな変身を日々繰り返しながら私たちは生きている。

 最後の句の落ちは、ごもっとも。

 

 

 

 

 

『川柳 杜人』創刊250号。

 

創立が昭和22年だなんて、私の親とほぼ同い年だったんですね。250号おめでとうございます。

継続って、素晴らしい。

 

記念誌上川柳句会。「朝」「着」二題。選者は各三名。結構、選がばらけていて面白い。

 

「朝」

 

美しくありたい朝の陽を浴びて   佐渡 真紀子

仏壇はあるしドラマは始まるし   小暮 健一

筆順はまちがってるけど朝である  樋口 由紀子

いま朝を連れてくるから待ってろよ 樹萄 らき

朝ごはん 死にたかったのは昨日  赤石 ゆう

                朝を待つ象の鎖骨にふれながら   瀧村 小奈生

 

 

 「着」

 

  山と川連れてこどもが到着する     佐藤 みさ子

  着々と太郎は森になってゆく      江口 ちかる

  着ぐるみの中には着飾ったアリス    柳本 々々

  たんぽぽもすみれも席に着きなさい   柴田 美都

 

 私の句  妖怪の卵が届く着払い     竹井 紫乙

 

  選者の方々は、大変だっただろうなと思う。句の数がかなり多い上に題が題だけに、同想句も相当多いはずでそこから

  選んで順位をつけるのは、難しい作業だろう。結果を読んでいるだけのこちらはお陰様でとても面白いけれど。

  個人的には瀧村小奈生さんと江口ちかるさんの句がお気に入り。

 

 

 

  友達と甘い紅茶を分かち合う

  傾いた肘掛け椅子でみる夕陽        大和田 八千代

 

   甘い紅茶って、いかにも友達って感じです。甘い、あまい。

   傾いた夕陽ってどんな?傾きに気づけないような気もします。

 

 

  マシュマロを叱ったけれどマシュマロで

  インク壜の中は激しく揺れている      広瀬 ちえみ

 

   マシュマロ、笑える。あの弾力、白さ、可愛くて図太い。

   インク壜のしっかりした分厚さ。あれは、なかなか割れません。

 

 

 

  立ち上がるアスパラガスも空瓶も      加藤 久子

 

 

   ここで「空瓶」が登場するところがとっても、いい。

 

 

  雷に討たれてからのもの忘れ        宮本 めぐみ

 

   「打たれて」でも「撃たれて」でもない。「討たれて」が良かったです。

 

 

  泣く時の部屋がちょっぴり明るすぎ     鈴木 せつ子

 

  猫だましという切り札を持っている     都築 裕孝

 

    妙に納得させられる二句。

 

 

  (ブタの皮ですよ)ブローチさくら色    

  よく洗った手で持ちあげる如来さま

  生えている草生えている兎         佐藤 みさ子

 

 

    もう、さくら色が豚の色にしか見えなくなる。困る。

    なんだかんだで、持ち上げるわけ。せめて手だけはきれいにして。

    兎が生えてきたら、どうしよう。引き抜かずに育てるか。悩む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「川柳スープレックス」senryusuplex.seesaa.net にて第一回 前句附句会。

 

前句「たまにはゾウで過ごす一日」に対しての附句を投句、選句。

 

連句とも違うので、面白そうだなと思って参加。ずらし加減を考えるのも、楽しかった。

選句はちょっと悩んでしまう部分があって、飛躍し過ぎているものは、やはり取りにくいと思う。

 

参加人数が少ないので、全員のコメントに目を通せるのは良かった。

 

一番好きだな、と思ったのが「目を開けて半跏思惟像歩き出す」笹田 かなえ

このくらいの離れ方は絶妙だと思う。前句の「ゾウ」はカタカナだし、「像」と音は重なるけれどうるさくはないと思う。

 

私の附句 「おでこからアンモナイトを出すところ」

     「サイダーや安藤忠雄とボクシング」     竹井 紫乙

 

何これ、説明して!と言われれば、きちんと解説できるのだけれど、皆さんのコメントを読んでいると、とても面白いので

解説なんて、全く不要だと思った。

 

 

 

 

 

 

『なつかしい呪文』倉本 朝世  あざみエージェント

 

図書館で何も考えずに予約した本たちが一気に貸出可能になったので、山ほど取りにいくも返却日が迫り乱読し過ぎて疲れる。ほっとしたいわー、ということで朝世さんの川柳を読む。ほっとした。

 

たちあがることはうつくしいまちがい

人を産む柳行李になりながら

この世からはがれた膝がうつくしい

天の川まで前髪を切りにゆく

見知らぬ人が傷口の上に立つ

手は鳥の夢見てお釣り間違える

桃よ昼に全体重をかけなさい     倉本 朝世

 

 

狂句のもじりで『恐句』(きょうく)と読むとのこと。

飯島章友さんの川柳。活版印刷、渋い。

 

Re:がつづく奥に埋もれている遺体

蟷螂の睦言に耳すます夜

チンドン屋東口から洞窟へ

鍵穴に入れる双子の兄の耳

古紙縛るその手応えを記憶する

パノラマ館で死蝋になるのわたしたち

浮いてたね鏡文字など見せ合って      飯島 章友

 

恐ろしげな川柳、というよりも、とてもロマンチックな世界じゃないですか。と思う私が恐ろしい人なのかしらん。

 

 

 

『川柳 びわこ』2016.5月号

 

ついたての裏に置かれたままの嘘  峯 裕見子

雨の日に教えてもらう突き落とし  重森 恒雄

思い出が絵本になれば買うだろう  立岡 詩織

三月のところどころが破けてる   中嶋 百合子

 

どうしてこうなるのだか、わからないままに日々は過ぎてゆく。何とか、普通に、過ごしている。この4句は日常の破れ目だと思う。

 

はくもくれん人も最後は濁るのね  松延 博子

 

そうなの?と色々質問したくなる。そうなのかなー。

 

車椅子で運ばれてゆく春の裏側

                     いのちを思うさくらはあっち向いて咲く   畑山 美幸

 

            いのちの裏は、どんなものなのだろうか。裏側は、いつも寂しい。

 

                     このいちご子供のような声がする       街中 悠

 

            子供のような声がするものを、食べている私達。

 

 

 

 

今日で4月が終わる。5月のカレンダーは、佐藤みさ子

さんの句。

 

万物を揺すり子供が通過する

顔半分もらう半分消してから

何枚も着たのよ祭りのポスターを

言葉だけ立ちふさがってくれたのは   佐藤みさ子

 

幼年期の爆発的なパワー。あれは一体何なんだろうと思う。どうして大人になると、維持するのが難しくなってしまうのか。体力の問題だけではないような気がする。

恐れを知ってしまうと人は弱体化するから。

 

みさ子さんの句の書き方で不思議なのが、関係性、というものが省略されている点だ。一体誰から、顔の半分をもらうのだろうか。その半分は、本当にうまく接合され得るのだろうか。

「着たのよ」という話し言葉は一体誰に向ってのものなのか。しかも話しかけている内容は、ほぼ不可解な内容なのに。普通の顔で、謎を仕掛けてくる。

立ちふさがるのは、みさ子さんからの謎々なのだけれども、そのご本人の前に立ちふさがっているのも「言葉」なのだとしたら、私がとらえている言葉と、みさ子さんの見ている言葉は、何か違うものなのかもしれない。

 

 

 

 

 

『猫川柳アンソロジー ことばの国の猫たち』より

 

猫拾う犬がいるけどそれはそれ   浮 千草

猫会議終わると雨が降ってくる   小島 蘭幸

猫に石投げて当たったことがない  新家 完司

あの丘へ私の猫を捨てに行く    坪井 篤子

猫はまた遠いところを噛んでいる  德永 政二

からくりがわからぬ猫を撫でている 藤田 めぐみ

忘れてもいいんだ猫の舌ざらり   峯 裕見子

銀の雨かえらぬ猫のことにふれ   森中 惠美子

春遠し猫から猫を取りあげて    芳賀 博子

 

私は猫と暮らしたことも、犬と暮らしたこともある。

猫は私のことを、あまり好きではなかった。私が幼かったせいで、滅茶苦茶な扱いをしたからだ。

犬とは友好的関係の構築に成功している。多分。

 

猫にまつわる川柳を集めて、こんなに沢山の句が揃うとは思わなかった。そして読んでいて面白かった。

 

欠伸していたら白猫になった

人間を止めよう猫に抱かれている

ほしいのだ猫のみつめている空を   野沢 省悟

 

 数ある猫川柳の中でも、最も魅力的だったのが野沢省悟さんのこの三句。猫が主役でなければ、成立しない句群。

 そして猫の魅力が迫ってくる、素敵さ。野沢さんは猫という存在を、心底愛しているに違いない。

 

 

 エッセイでは、有栖川有栖さんが猫につける名前について書かれている。大阪の生玉神社(通称いくたまさん)に

 ちなんで「いく」と「たま」の二匹が紹介されていて、これはいいなあと羨ましくなるようなお話。

 松本恭子さんの猫の声にまつわるエッセイは、哀しいエピソードなのだけれども、きれいな声の猫に出会ったこと 

 がない私にはとても興味深かった。

 柳本々々さんのエッセイは、松本さんと同じく猫の鳴き声がテーマとなっている。「たった一語だけでいいから、

 自分だけのことばを持つこと。誰かに理解なんかされなくたっていいから。」「猫は猫であることに、意味はない

 。猫は、どれだけ猫であることからずれたとしても、それでも猫であろうとすることができる。」いいなあ。

 

 

 

『15歳の短歌・俳句・川柳』③なやみと力

 

  院長があかん言うてる独逸語で    須崎 豆秋

 

この③に収録された川柳の中で、群を抜いて面白い!以前から知っている句ではあったけれど、こういうアンソロジー本の中で読むと特にその良さが際立って見えた。

 

  掃除機を引いて花野に来てしまう   草地 豊子

 

「掃除機」は川柳になりやすい。私も個人的に好きなモチーフ。そしてこの句の自由さも素敵。

 

  いもうとは原っぱだけを置いていく   横澤 あや子

 

私は一人っ子なので兄弟姉妹のことは、本当にはわからない。でもきっと、妹ってこんななのかもしれないなあと

思わせてくれる句。

 

  まだ来ない痛みを待っているような   佐藤 みさ子

 

どきどきします。作者の意図はひとまず横に置いておくとして、『15歳の短歌・俳句・川柳』にふさわしい句だと

感心しました。15歳がこの句を読むのと、大人が読むのとでは、解釈が違うでしょう。その幅の広さが素晴らしい。

 

  白鳥をたった一人で干している     榊 陽子

 

不思議な句で、不思議さを面白がるのが楽しい句でもあります。だから解説部分に「洗濯したシーツ」と書いてあるのがちょっと残念ではありました。断定してしまうと、もったいないような気がする欲張りな私。

 

 

 

  

 

 

『川柳 びわこ』2016.4月号より

 

だまされてみようか春巻きの皮に     北村 幸子

 

騙されて、巻かれて、食べられる。或いは中味のわからないものを食べさせられる。どちらもあまり嬉しくない

状況ではある。「だまされて」の平仮名と、春巻きの皮の軽さに惑わされる。

 

持ち寄った闇でしばらく話し込む     深川 さゑ

 

こういう会話はとても疲れてしまう。後味も悪いけれ       ど、中途半端ではやめられない。何といってもわざわざ、持ち寄った闇だから。

 

  満点のために重なりあっている   月波  与生

 

そうなんですか。満点のためなんですね。それは大変です。

 

  変色をしておりますが私です    尾﨑  なお

 

変色・・・。したら、やっぱりいちいち「私です」って主張をすべきなのかな。

 

  あなたはそこに私はここに句読点  徳田  孝子

 

あなたと私のずれ。そのずれ具合をこんなふうにはっきりさせるのは、ちょっと辛いことのように思う。

本音を言えば、ぼんやりさせたままの方が楽なのに。

 

 

 

 

 

『川柳 杜人』249号 より。

 

 

人形の役ばっかりのおままごと     須川 柊子

 

これは非常につまらない状態です。楽と言えば楽ですけど。

食べているふり、眠っているふり、泣いているふり。

 

この指はほんとは何で出来てるの    佐藤 みさ子

 

答「お菓子!」

 

見つめてくれる金色の目がいてくれる  浮  千草

 

金色、というのがいい。何の生き物だか、作り物なのか、わからぬ。

 

  一本の針に五感をためされる      鈴木 せつ子

 

  ああ、痛い・・・。謝る必要なんて全然ないのに、「ごめんなさい」って言います。

 

  しあわせな迷子絵本に埋もれて     広瀬 ちえみ

 

  素敵な迷子。迷子っていいですね。もう元には戻りたくありません。だって「迷子です」っていう言い訳が

  折角手に入ったのですから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  まだ少し君が残っているチューブ

 

  父もひとり母もひとりであった露

 

  山に雪 私に何があるだろう      德永 政二  フォト句集4『家族の名前』

 

 

  たまには、愛について、考える。

 

 

『15歳の短歌・俳句・川柳』②生と夢

 

  無言電話のむこうに月は出ているか   倉富 洋子

 

けっこう、恐ろしい問いかけのように感じる。私は無言電話をかけたことがないけれど、おそらく悪意を持って

かけるものだろう。相当な悪意があったとして、かけた相手にこんなことを言われたら、どうか。

思わず返事を返してしまう程度ならいいとして、最悪の場合、相手を殺したくなるかもしれない。

 

  みんな忘れる四条の橋を渡るとき    峯 裕見子

 

瞬間の、川柳。橋というのはやっぱり特殊な場。特に京都の四条大橋は。

 

  ふところの雲から定期券を出す     天根 夢草

 

ふところに雲、この時点で素敵な句だ、と引き込まれる。そして出てくるのが定期券。いいなー。

「どこでもドア」に通じる自由さがあって。

 

  ともだちになろう小銭が少しある    角田 古錐

 

友だちって、こういうものだと思う。小銭があれば、一日中一緒に楽しく過ごせる。子供の頃も、今でも。

 

 

 

 

『川柳の仲間 旬』を二冊、送っていただいた。

全体的にとても明るい空気の柳誌で、読んでいて

楽しかった。皆さん、仲が良いんですね。

 

 

真横から遠くの入り日腹を刺す        竹内 美千代

手土産に持って行けよの月の位置

 「入り日」「月」どちらも本来、とても遠いはずのものなのに、腹を刺す、手土産になる、など体に近い事象に突然変化している所が面白い。

 

 

  新しい息吹を磨くふくらはぎ            丸山 健三

  遠回りしたが峠の春を抱く

  満月の下でケンカが出来ません

 人はないものねだりをする。憧れに近い感情を覚える三句。

 

  熱帯びた耳にも手にも赤い道            桑沢 ひろみ

  どこへ行くのか肉体に聞いてみる

  色気のある句を書かれる。同時に戸惑いも含んでいて、共感できる。

 

  ひとつ捨てひとつ忘れておばんです         小池 孝一

  この雪はきれいになれる食べてみる

 私は大阪生まれ、関西育ちで近畿圏から外で暮らしたことがない。だから「おばんです」という言葉がとても新鮮で、しぶい、と感じる。ここの部分が別の標準的な言葉だったら、そんなに心惹かれないかも。そして雪。ほとんど、降りもせず、積もりもしない、大阪の雪に較べて何て深い雪。私は書かれた土地柄が色濃くにじむ川柳が好き。

 

 

  全自動で花がらエプロンロボットが         池上 とき子

  ポイント二倍だから今逢いにゆく

  ありあまる時間の中で泳げない

何でもない日常から少しずれる、ずらす、その加減が難しい所。とき子さんの句のずらし方、このさじ加減が意図的なのか、結果的にこうなったのか、興味があります。

 

   シャボン玉百の柱を通りぬけ             大川 博幸

  少しいい光の中でわれるなら

  シャボン玉われないうちに目を逸らす 

  ボクが蝉ならばこの樹に憑いて鳴く

  屈託をかかえスルメイカをくわえ

 連作のテーマにシャボン玉を持ってくること自体、意表を突かれたような気持ちにさせられる。この一連の句群を読んでいると、あまりの素直さに何だかうろたえてしまいそうになる。屈託していても、口にはスルメイカ、だなんて、愛嬌の塊。屈託を完全に楽しんでいる。

 

 

  終着で透けた心を取り戻す                千春

  前世では逢わなかったね。うんたぶん。

  シクラメン丑三つ時に笑い出す

  眠ってるあなたの顔は踏み絵なの

  御守りが発火するまで抱きしめる

 面白い。何故かと言えば、私と発想が真逆だから。私は自分と正反対の人が好き。

とにかく、前向き。今、この時に対して肯定的。終着で透けるってことは始まりではどうだったのだろうか。いやいや、今、透けた心に戻っているのだから、もう過ぎたことはいいじゃない。前世では出逢ってないね。でも構わない。今、出逢っているのだから。極め付きは発火するまで抱きしめる御守り。力強い。

 

 

 アパートが解体されてゆく蜜柑           川合 大祐

  ロボットに神は死んだか問うのび太

  ドラえもん右半身が青色の

 一句目はうまいな、技術的に。と思いました。「解体」と「蜜柑」の響き具合が絶妙。

二、三句目。大祐さんと私はまあまあ年齢が近い。もはやドラえもんに対して、子供の頃とは同じ感情では向き合えない。(少なくとも私は)。だからこういう句になるな、と思う。西原天気さんのブログに下のコメントが以前、出されていました。

 

組句:ドラえもんといえば青、らしい

 

ドラえもんの青を探しにゆきませんか  石田柊馬

ドラえもん右半身が青色の  川合大祐

偽物のドラえもんかな薄い青  竹井紫乙

いずれも川柳作家の句。短歌にもドラえもんモチーフの歌がわりあいにあるようですが、俳句では、とんと見かけません。
ちなみに、私自身は、ドラえもんのことをほとんど知らないんです。マンガもアニメも見たことがない。猫なのか何なのかさえ知らない。すみません。

俳句では、ドラえもんがモチーフにされる事例がなく、短歌と川柳には存在する、ということがかなり面白いことだと思いました。

  

 

 

 

  午前二時ライトセーバーなんかいい      柳本 々々

  フォースあれ定型もあれベイダー忌

  サングラス通すと消えるベイダー忌

  の広がる夜になったらコンビニ忌

  コンビニ忌割り箸だけの闇の音

 どちらの連作も「2020年」とタイトルに書かれています。あと4年もすれば、ベイダーも、コンビニも、忌日を迎えるというのでしょうか。甚だ不吉です。ノストラダムスみたい、々々さん。

 そんな禍々しいタイトルに対して句の内容はというと、コンビニ忌の方はちょっともの寂しい世紀末的空気に包まれているけれど(「20世紀少年」がモチーフなんだろうと思いました)ベイダー忌の方は笑える要素もありつつドライ。徹底して、連作で川柳を書き上げることに拘ってまとめられているので、ひとつひとつの句の鑑賞をすることにはあまり意味がないようです。

「スターウォーズ」という映画の中に現れるフォースという現象を、短詩にあてはめる、というのは素敵な発見。

コンビニは昭和の時代から存在していますが、もはや日本社会において不動のものとなってしまいました。コンビニの中であらゆることが処理できてしまう、ものすごく多機能な場所。それに忌日を与えるって、かなりスリリング。社会吟として読むことも可能。

 

  キミノ場所ボクノ場所真ン中に玉          樹萄 らき

  始まった一年おみくじは「へ」だね

  明けました立ったままでも風は吹く

  獣偏大きく息を吸い込んで

  表示がありませんどこが春でせう

  今頬を触れた春なら転んだよ

「川柳スープレックス」にインタビューが掲載されていた。川柳は関わっている人口が実際どのくらい存在しているのかよくわからないところがあって、おそらく若い人が少ないのだろうと思われるけれど、比較的若年の頃から川柳を始めた方のきっかけのエピソードというのは更に謎が多かったりする。だからその辺りのことをお話しされていて、それがよかった。

らきさんの句は私にとって、難解句ではないけれど、何とも言えない不思議な気分を与えてくれる川柳。こういう印象を受ける方ってとても少ない。明るい孤独と言えばいいのか、前向きな疎外感という方が適切なのか。とにかく、ちょっと、外れている。あらゆる事象から。大きくは、外れていない所が不思議。おみくじが「へ」とか。立ったままでも風は吹くって、凄いですね。春に表示はないだろうけど「でせう」で、私は何故か大受けしてしまう。次の春が転んだよとか、全身の力が抜けてしまいそう。個人的な好みとしては獣偏の句が一番好き。

 

 

 

 

三月はお別れの季節。 今日も不思議な振袖+袴の女子が沢山街を歩いていた。

 

 お別れに光の缶詰を開ける     松岡 瑞枝

 

     『15歳の短歌・俳句・川柳』①愛と恋 41ページ

 

 追伸の明るい雨をありがとう    普川 素床

 

     『15歳の短歌・俳句・川柳』①愛と恋 23ページ

 

 金色はきっと別れるときの色    徳永 政二

 

      『家族の名前』フォト句集4

 

 どれも明るいお別れの川柳。こんなに光がいっぱいのお別れというものを、自分はしたことが

 あっただろうか。思い出せないくらいだから、したことがないのだろう。

 記憶に残っているお別れは、全然美しくないものばかり。

 思い出がきれいに感じられる程、達観してもいないから、一体あとどれくらい生きていれば

 このような境地に立てるものやらさっぱりわからないけれど、鼻炎薬でふらふらしている

 今日のような日にはひときわ眩しく感じられる。

 

 

 

 

神戸文学館で展示されている「現代川柳百人一句集」という色紙集を

見る。昭和56年のものなので、結構古い。こんな豪華なものを作るくらい、この頃は余裕があったのだな、と驚く。

 

会場では作品の一覧表を用意して下さっていたので、帰宅してから

ゆっくり読んでみた。

 

百人中、女性は数名。句の内容が如何にも昭和って感じのものが多い。こんなに、時代というものが反映してしまうんだ・・・。ちょっとこわいような気もする。

 

床屋の鏡を一瞬遮る青い麒麟     奥室 数市

こおろぎのように泣けたら涅槃かな  橘高 薫風

転がったとこに住みつく石一つ    大石 鶴子

火の好きな羊と長い旅に発つ     定金 冬二

                     ふるさとを跨いで痩せた虹がたつ   柴田 午朗

                     傷つけてその夕焼を愉しまむ     時実 新子

 

 今読んでみても、古さを感じさせないなと思った句。私個人の好みの問題はあるにしても、かなり有名な書き手の句をピックアップしてしまった、ということはやっぱりこの人達は時代を超越しているのだな。

 

 

 

 

 

 

 

神戸文学館で、妹尾凛さんと八上桐子さんが「月の子忌  

 時実新子を読む」という読む会を催された。二回目。

一回目は参加していないので、どんな感じでやるのかなあと思って覗きに出掛けた。

 

資料はとてもうまくまとめられていて、わかりやすかった。フリーペーパーも丁寧に作られていて、新子先生がご覧になられたら、きっと喜ばれるだろう仕上がり。

 

これだけ労力をかけて準備しているのに、どうしてもっと宣伝しないのかなー?「こころに響く新子句」も、ちょっと句の数が少なかったのは、残念だった。

 

凛さんは緊張して足が震えていた、と仰るけれどそんなふうには見えなくて、もっと大きな声でも、もっと堂々とした態度でも、全然いいんじゃないのかな、と思った。

去年の参加者が20名くらいで、今回が40名ほどということなので、来年は60名くらい集まるといいなと私も期待しています。

 

 

 

 

 

『川柳 びわこ』2016.3月号より

 

出逢った頃をおぼえているのか林檎飴

いちじくのドロドロ嫌われてもいいの  渡辺 花子

 

林檎飴って、美味しいのか不味いのか、よくわからない食べ物だ。子供の頃には食べさせてもらえなかったので、大人になってから食べてみた。想像していたよりも、美味しくなかった。飴にコーティングされている林檎も、ぱさぱさしていて新鮮ではなかったし。当然、林檎と飴は出逢った頃のことなどすっかり忘れているのだろう。

誰にどう思われようが構わない、というのは開き直りの一種でもあるけれど、そこにドロドロのいちじくを持って来たところがうまい。

 

  水底で歪曲されていく「ののの」

  お開きですか 人らしくなれたのに

  「もしも」より先に明日が来てしまう

  天国へ行けるかどうか押してみる     月波 与生

 

 この方のお名前って、美しいんだな、と今キーボードを打ちながら改めて思った。

 

 どの句もちょっとだけ、おかしい。全部、何かに間に合っていないから。でもそこが魅力的だ。

 いつも何かに遅れながら生きている、というのはほとんどの人が持っている感覚のような気もする。

 「間に合った」などと本気で実感することが少ないのは何故なのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ここまでは来たよとモアイ置いていく  大川 博幸

 

 誘っているなあ。

 

 この人のポケットの中にはきっと、小さなモアイが沢山詰まっているに違いない。

 「ここまでは来たよ」というメッセージを思いがけない場所で何度も見つけてしまったら、

 もうモアイを追いかけて探すのが、楽しくて仕方がなくなるんじゃないかな。

 

 モアイにつられて辿り着く先は、とんでもない所なのかもしれないけれど

 一度でもモアイを拾ってしまったら、歩みを止めることはできない。誘うなー。

 

 『15歳の短歌・俳句・川柳』①愛と恋 14ページ

 

 

  恋せよとうす桃色の花が咲く      岸本 水府

 

  こちらはとても有名な川柳だ。こちらもお誘いの一句。

  大川博幸さんの句と較べて読むと、こちらの方が大変ストレート、かつ艶っぽい。

 

  個人的な好みはモアイの句。控えめなところが好ましいから。

  かと言って、こちらの句にも強引さみたいなものはないわけだけれど

  あまりにも素敵で完璧な句なので、ちょっと読んでる私が照れてしまうのだ。

  書かれた時代の影響もあるに違いない。大川博幸は1962年生まれの方だけど

  岸本水府は1892年生まれの方で、当然、もうこの世の人ではない。

 

 『15歳の短歌・俳句・川柳』①愛と恋 17ページ

 

 

  ふらんすぱんのすてっき春のるぱん来る   吉田 健治

 

  ここ数日、とっても寒い。もうすぐ暖かくなると天気予報は予測しているけど本当かな。

  こんな寒い日に、この句を読むと早く春が来ればいいのにと思う。花粉症なのに。

  

  理屈で読めば、フランスパンをステッキ代わりにしているルパンって何者なのさ?

  ということになってしまう。人間じゃあ、なさそうだ。

  平仮名表記が優しくて、「春のるぱん」が物の怪でも構わないような気がしてくる。

  何を奪われるのか、見当もつかないけれど私は「春のるぱん」に会いたいなあと思った。

 

 『15歳の短歌・俳句・川柳』①愛と恋 19ページ

  

 

 

  

 

 

 

 

 

神戸文学館の土曜サロンに送信した

 

 舟虫よお前卑怯でうつくしい      時実 新子

 

この句は別の本では「美しい」の表記になっている。私の持っている資料は1996年のもの。

最初に書かれた時には平仮名だったようでその後、漢字に変わっている。

けれど全句集を作成するに当たっては、書かれた当初の表記のままに掲載したらしい。

全句集の前に『時実新子一萬句集』というのが1984年に出版されていて、こちらも平仮名のまま。

面白いなあ、と思う。いつ、どの段階で漢字に変えたのだろうか。全句集は1999年に出版されている。

句集は平仮名で、その他は漢字の表記にしてあることは作者自身の指示なのだろうと思われるけれど意図を推測するのはちょっと、難しい。当時『川柳大学』の神戸事務局にいた人達ならご存じかもしれない。

 

 

 

神戸文学館の案内より―

月の子忌 時実新子を読む

3月5日(土) 14:00~15:30

 

土曜サロン開催に合わせて「いま、こころに響く新子句」を募集します。当日、冊子にして参加者に(応募者にも)進呈します。あなたの心に響く新子の川柳を1句とコメント(50字以内)をお送りください。senryuso@yahoo.co.jpへ。2月15日締め切り。

お申込、お問い合わせは、神戸文学館へ TEL 078−882−2028

 

 と、いうことで久しぶりに『時実新子 全句集』を繙く。

折角だから、今の自分と同じ年齢の頃に書かれた句を調べようと思った。それは昭和49年頃の句群にあたる。

 

  揺れる木は人間よりも正直な

  人間の顔を重ねて木の芽どき

  顔洗う顔が小さくなっている

  放心の孔雀の扇ひらきっぱなし

  魂が並んで珈琲のんでいる

  いらっしゃいませとオウムは生きたのだ

  かの子には一平が居たながい雨

 

 吉井川五十句から

 

  河口月光十七歳は死に易し

  一人が笑いつぎつぎ笑い家を売る

  からころカラコロ売れる黒髪下駄にのせ

  屈辱の椀だ 猫なら蹴る椀だ

  天は阿呆に爪十枚を賜わりぬ          時実 新子

 

 この年と次の昭和50年は、新子先生の代表作と言われる句が多いことに気付く。年表を見ると、『川柳展望』を創刊。とあるので、なるほどな、と納得。20代で出会った先生は私にとって仰ぎ見る存在で、優しくて、厳しいことひとつ言われたこともなかったので、そんな先生の句をフラットな目線で読む、ということは当時は発想としてなかった。今回は1句選ぶ必要があったので、初めて冷静な気持ちで時実新子の句に対峙したのかもしれない。

 

  舟虫よお前卑怯でうつくしい     時実 新子

 

 結局、この句を選んだ。この句を初めて目にしたのも20代だった。その時は技術的に、うまい句だと思った。真っ直ぐな若者だったから、共感には至らなかったことを覚えている。あれから20年近く経つので当然、見方は変化している。ずるくても、卑怯でも全然構わない。どんなやり方だろうと生き抜くことが大事で、勿論そこには痛みが伴うけれど、下五が「美しい」ではなく、「うつくしい」と書いたところが時実新子の心だと思う。痛みであり、羞恥であり、これからの事柄への決意であったのだろうと解釈した。

 

 

 

 

 

 

あざみエージェントのカレンダー。2月は峯裕見子さん。

 

春の電話父の次には母が出て    峯 裕見子

 

裕見子さんはご本人自体がとても美しい方で、その見た目通りの句を書いておられる。なんか調子悪いですか?みたいな句を拝見したことがないのだ。カッコいい。

 

痒くても掻いたらあかん大阪は    峯 裕見子

 

京都人の裕見子さんが大阪を書くと、こうなる。これが

久保田紺さんなら、思い切り掻いているかな。隠れて。私だったらさっさと病院か薬局へ行く。

 

 そうだった雨はひとりの中に降る    峯 裕見子

 

何でこんなにダンディーなのでしょうか。美しいということは、強いことでもあるのですね。

こんな句を目にすると、何故だか身もだえしてしまいます。

 

 

 

『川柳 びわこ』2016.1月号

 

しあわせになりたいなんて無理を言う   安井 茂樹

 

ふうん。無理って言いきって(書ききって)しまうんだ。ってことはこれは誰かに言われた言葉なのでしょうね。私なら嘘でも肯定してしまう。こんな無理を言われたら。       

 

はんぺんでいようと努力しています    北村 幸子

 

こうありたい。全然、努力出来てないけど。              

 

石なんか抱いて十月終わったね    谷口  文

 

実感句として書かれたようで、読み手には「十月」の必然性がわからない。ただ、夏から秋への移り変わりの中で「石なんか抱いて」過ごすわけだから、気分は楽しいものではなかったに違いない。とても深いため息のような句だと思った。

 

円周をずっと歩いていてくれる    深川 さゑ

 

こういう親切もあるし、こういう節度のある人間もいい。さゑさんから頂いた賀状の一言も、こんな感じの文章だった。さゑさん、私は以前と何も変わっていませんよ。

 

トゲひとつ刺さったまんま十日過ぎ  笠川 嘉一

 

平気なんでしょうか。いや、そんなわけないですよね。日にちを数えているくらいですもの。体の一部になるのを待つのもいいかもしれません。折角刺さったまんまなのだし。私にも刺さったまんまのトゲが沢山あって、死ぬまで存在し続けるだろうし、消えてくれないだろうと覚悟している。普段は忘れたふりをしているけれど。

 

 

 

『川柳 杜人』248号が届いた。今年の夏ごろに柳本々々さんから、冬頃に出る『川柳 杜人』に句集『ひよこ』を引用した文章が掲載されますよと伝えられていた。

 

テーマは「川柳はお好きですか?」。結構難しいテーマだと思う。

三名の方が色んな角度から書かれていて、とても面白い。

 

々々さんの場合は川柳を好きな理由を5項目に分けて、一見わかりやすくまとめられている。私の場合、引用された句の書き手であるから彼が何を言いたいのか、すぐに了解できる。けれどおそらく、川柳をあまりよく知らない人のほうが、この文章は理解しやすいのではないか。

「あくまで川柳はイメージではない」「読みのアナーキズムこそが、希望の形式なのだとわたしは思いたい。」「川柳は定型にのせられる<しゅんかん>の文芸」「表象への<あらがい>」「いつまでも意味の内側と外側をぶらぶらするひとのためのもの」など、鋭い考察を柔らかい表現で読ませる所はさすがだと思う。

 

お店から盗って来た本くれる彼       竹井 紫乙

 

この句について、々々さんのブログ「あとがき全集。」で取り上げられていることは久保田紺さんから教えてもらった。句集を出してから、誰にもこの句について触れられたことがなかったが(実は一番気に入っていた句)々々さんの「読み」は全く正確なものでとても驚いた。(ので、てっきり女のひとだと思い込んでいた)

 

干からびた君が好きだよ連れて行く     竹井 紫乙

 

これは自選だったら、外していただろう(根性なしだから)自分にとっては瑕みたいな句。書いてしまった、出してしまった、ああやってしまった、という句を々々さんは何度も何度も何度も「読み」続けた。

 

この2句に対する々々さんの表現で、態度で、川柳は誠実な読み手がいなければ全然、実は成立しないのだということを改めて痛感した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 初めての川柳

 

 高校生の頃、『鳩よ!』という雑誌がマガジンハウスから出版されていた。そこに短詩文芸で活躍している女性作家の記事が掲載されており、林あまり、時実新子の作品が見開きページでまさにでかでかと紹介されていた。

 それらの句を読んだ時の感想は、「うけつけないなー」だった。但しかなりインパクトが強かったので、記憶に残った。

 

 阪神大震災の後、1997年の1月頃にテレビで時実新子の震災後の様子が放送された。ほんの30分程の番組だったけれど、「この人に会いたいなあ」と思ってしまった。テレビ局に電話してみた。とても親切な方が対応して下さり『川柳大学』という柳誌を出されているから、一度そこの編集部に連絡してみてはと連絡先を教えて頂いた。時実新子が講師の教室は、キャンセル待ちで空きがでないと思うので、まず本を読んでみなさいということだったのだが、その取り寄せた柳誌には、句会の案内が載っていた。

 

 句会どころか、川柳って5.7.5だっけ。7.7は短歌だったっけ。くらいのわけのわからなさ加減だったけれど、とりあえず行ってみることにした。場所は神戸の楠公さん。何度も通過している神社の中の会館だったので、迷わず到着した。

 受付で何やら説明を受ける。よくわからないけど、私も句を書いて出さねばならないらしい。今思えば出さなくてもよかったのだが、とりあえず、書いてみた。

 

  雑詠の選は時実新子だった。この日、唯一抜けた句はこの雑詠だった。

 

   うちの子になるかと言って消えた人   竹井 紫乙

 

  こういうので、いいのかな。だったら、書けるかも。私の初めての句作と句会はとても、ラッキーだった。

 

選者が選をしている時間、約1時間はあったと思うけれど、新家完司さんがお話しを担当されていて、テーマが「無頼派川柳」だった。

 

  極道と雪夜の厠入れ替わる         木下 会道

  

  供述書娼婦の雨を読み上げる        淡路 放生

 

  秋風の中で乞食に拝まれる         須崎 豆秋

 

 などの句を紹介、解説された。新家さんのお話しがとても面白く、この1時間がなければこの日の印象も、川柳に対するイメージも、違ったものになったはずだ。

 

 時実新子の句をきちんと読むことなく、句を書くことと、川柳の持つ「悪」の部分に興味を持ってスタートラインに立つことになった。





びわこ番傘 2015.12月号から


気休めのうすい緑を口ずさむ


横隔膜の辺りで止まっている涙


忽然と無くなるものを積んでいく


                北村 幸子


 「口ずさむ」んだ・・・。そして「うすい」に引っかかる。

「気休め」だから、爽やかさも薄い目ってとこでしょうか。

 「横隔膜」の辺りがすっきりしないなんて、気持ち悪い。

「涙」が不快感を増してゆく。私はこの句を読んだ時、薬品の臭いを嗅いだような気がした。「うすい緑」も薬くさい。それは「忽然と無    

                     くなるもの」のにおいなのかもしれない。


あの頃はあの頃として今ジュリー

                 泉 明日香

 

 「ジュリー」って響きが素敵。誰が考え付いたんだろう。私が子供の頃のジュリーはお化粧をしていて、いっつもどこかが光っていた。おじさん、いや初老になってもジュリーは白い、ぴたぴたの衣装で歌っていた。お腹が出ていても、皺があっても関係ないのがジュリー。この句は「ジュリー」で成立している。ちょっと、ずるい句。



こうやって曲がったところ虫がつく


少しだけくっついている白いかび

                 宇野 文代


 虫がついたり、かびがついたりしている。「大丈夫ですか?」と声を掛けたくなる。でもきっと、どっちもつけたまんまで構わないのだろう。私にだって、おかしなものが、たくさん、付いている。