『蒸しプリン会議』2017年 春 夏

 

会議は6名で行われた模様。冊子は100円也。

これ、この値段で売るの、いいなあと思いました。手のひらサイズで読みやすい。

 

陽炎へるヤクルト中央研究所   太田 うさぎ

 

矢印のゆるゆるとゆく干潟かな  岡野 泰輔

 

春惜しむ人にきらめく体温計   小津 夜景

 

からの吹流しのキモイたましひよ 鴇田 智哉

 

 

犬寄りのひとと見てゐる躑躅かな

墓石を見に来て春をこじらせる     萩原 裕幸

 

あふむきに貝かがやくは遅日なる

すなっく乙姫おぼろに灯す豆電球    西原 天気

 

 ヤクルト、犬寄り、すなっく乙姫。どきどきする春満載であります。

 

 

 

 

 

 

「北の句会」に参加させていただく。

 

全然、俳句のことがわかっていないので、俳人の方々の意見というのがどういうものなのかが知りたい。で、参加しているのに、なぜか川柳目線で意見を述べてしまい、何をしに行っておるのであろうかと思う。下手な俳句を書いて出したら、「普通に川柳を書いて出せばいいのよ」と言われてしまった。そんなんでいいのかな。困惑。

 

その日に参加されていた岡村知昭さんから句集をいただく。同年代の方なので、興味深い。

ちなみに私は岡村さんの顔は何度か見たことがあった。川柳関係のイベント後の宴会場で。

その時の岡村さんは当たり前に酔っており、まともに挨拶したことすらなく、素面の状態のこの

人を初めて見たのだった。ものすごく真面目な方で、驚く。

 

句集の内容も、あとがきの内容も、至極まっとうなのでした。

 

 マフラーを外し仮病のおともだち

 くちびるはありましたけど山眠る

 雨音や黙って鶴を持ち帰る

 花冷や銀紙でこいびとつくる

 失業や包みひらけば桜餅        岡村 知昭

 

 

 

 

 

  

『連衆』2016.12 NO.76

 

死をかけるもの干し竿の短くて    萩 瑞枝

 

 普通は長い竿にかけるような気がする。「死」なんて、何かに引っ掛けたことは

 ないけれど。洗濯機から取り出したばかりの洗濯物は、死体っぽいとは思う。

 

羊羹をきれいに切って畏まる     萩 瑞枝

 

 羊羹は句に取り込みやすい一品。私も大好きなアイテム。きれいに切った羊羹の 断面は神々しい。

 

鰯も人も塩を振つたり振られたり

行く秋や剪定ばさみは行方不明     瀬戸 正洋

 

 自在な空気。行方不明も軽い。

 

自転車で来て新蕎麦を食ひにけり

タクシーで来て新豆腐買ひにけり    瀬戸 正洋

 

 こう並べられると、とても可笑しい。「新豆腐」って聞いたことないけど・・・。

 タクシーが効いてる。

 

林檎園歯はぼろぼろになつていた    瀬戸 正洋

 

 いけないと思うけれど、笑ってしまう。早く瀬戸正洋さんの句集を買って読もう。

 

カナカナや前世で姉を買いしこと

石の子を産んだ石屋と秋の暮れ

小さなる絵本閉じたる凍蝶よ

大枯野見て終わりけり観覧車

竹馬の首から上がよく見えぬ    谷口 慎也

 

 

 安定感のある不安定感。観覧車も竹馬も、こわい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『六十億本の回転する曲がった棒』 関 悦史

  

 読んでみたいなあと以前から思っていて、今やっと読了。

  

  うすごろも落つる高層団地かな

 

  木造アパート和姦の悲鳴漏れて秋

 

  スクラップ積まれ冷たき夜の産土

 

  AVの自販機ほかは冬の闇

 

  球体関節人形といふ花疲れ       関 悦史

 

 

 

「日本景」より。日本景というよりも昭和の景色。懐かしさを感じる。続く「マクデブルクの館」の耽美さも昭和の少女漫画を思い起こさせる。「介護」で平成に引き戻されるのだけれど、この「介護」があると無いとでは、この句集の印象は随分違ったものになる。(勿論、あった方がいいに決まっている)未発表句がほとんどらしいことは「あとがき」に記されている。さもありなん。

 

   我が消え誰かれがきえ蠅叩

 

  オイディプスの血の一滴がかかりけり

 

  鏡餅は人撲ち終へし天女のさま

 

  うすらひやさはられてゐるうらおもて

 

  鯉幟に呑まれてみたき思ひあり

 

  鯉幟に呑まれて何か失へる

 

  永遠に菌を食べる男かな

 

  冬うららたまには変形してみたい

 

  われを焼きよろこぶ美少女の焚火    関 悦史

 

 

 

「やらかいなあ」と思う。柔らかい。攻撃的ではない、というのが適切なのか、底なし沼のような受け身のやわらかさと言うべきなのか、俳句だから、こうなのか。なんかずぶずぶ。

 

 

  生きてゐる春日の吾も遺骨かな

 

  恋猫に懐かれ倒るわが遺骨

 

  白菊をばくばく食ふやわが遺骨     関 悦史

  

東日本大震災以後の「うるはしき日々」で句群は終わる。ずぶずぶから鋭利な眼差しに変化。松山 巖さんのお手紙が栞で読むことができるのだけれど、その中で作者の〈変身〉について書かれている。次の句集での変身はどのようなものだろうか。

 

 

  救援物資の箱らに自死を禁じらる

 

  被爆しあって男の撮りし犬の顔

 

  亡き祖母とよく会ふ地震の後の春

 

  セシウムもその辺にゐる花見かな

 

  原子炉を客観写生したき瓜

 

  残像のわれが飯買ふ西日かな     関 悦史

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『フラワーズ・カンフー』小津夜景(ふらんす堂)

 

読み応えあったわあ。というのがまずは読後の感想。面白い!

作者が言う所の「どろだんご俳句」という表現を気にしつつ、納得しつつ

読み進める。

 

 百合の骨つまめば砂となりしのみ

 まなざしがゼリーぢーつとしてゐると

 いつまでも屍体だりんと鳴く虫だ

 三白眼のをとめごころや冬プリン

 枇杷いつからうすくらがりの尻なのか    小津夜景

 

 中でも圧巻なのが、タイトルにもなっている「フラワーズ・カンフー」連作。素晴らしくって爆笑。かなりテンション上がる!

 私は武道に詳しくはないし、武術系の漫画やアニメも観ないけれど年代的に子供の頃に香港、中国のカンフー映画が頻繁に

 TⅤ放送されていたのでけっこう好きで、未だにBSで放送されていたりすると、どうしてもチェックしてしまう。

 ジャッキー・チェンよりもジェット・リーやブルース・リーの映画が好みで、この連作はまさにドンピシャ。参りました。

 

  つちふるやあなたと肉の香を組み

  返り血咲く講堂の戸や誰が触れむ

  総重量かげろふほどの暗器なり

  赤貝と来て人質をしぼりあぐ

  教師三十六房僧と化し朧

  仁★義★礼★智★信★厳★勇★怪鳥音

  白骨となりそこねてや夢のハム

  もぢもぢと師系告げあふ堤防で         小津夜景

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

俳句誌『垂人』 232526

 

 

 

川柳フリマの時にフリーペーパーのコーナーに置かれていた。三冊残っていたものを持ち帰る。読み終わったのが最近、というスローペース。

 

 

 

会員への原稿締め切り日が可愛くて、それぞれ「宇宙の日」「漢字の日」「JAZZの日」と書かれている。俳人のみならず、川柳と俳句の両方をされている方も数名おられる。一応、俳句がメインと思われるけれども、詩、短歌、連句もあり。文章もうまい方たちばかりでどのページも面白く読んだ。

 

 

 

 

 

人魚上部を抱きしめ下部は焼いて食う   中内 火星

 

 

 

たんぽぽや百の仮面の捨てどころ     野口 裕

 

 

 

鬼百合のポツンと咲いて大人だな

 

夜の秋われ木偶の坊のままでいる     大沢 然

 

 

 

仮縫いは鳥の形に雪が降る

 

すぐに逃げだす僕の魂はさざんか

 

紫陽花や蛇の目をしたお母さん

 

綿飴の雲の周期を寝てくらす       佐藤 榮市

 

 

 

 

 

 

 

 

夏の雨職場へ行きたくないと思ふ

道をしへ老婆だと自覚がなくて困る

髪切虫同級生の老婆かな

生ビールあきらめ各駅停車かな

瓜漬食うて健康な歯はどこにもない

蜩やバルタン星人のフィギュア

鮎解禁神経痛の薬かな

老人の夜遊びトマトジュースかな

メニューにソーダ水とあり誰も飲まぬ        瀬戸 正洋

 

 

 

 こちらも『連衆』から。

 タイトルは「夏の雨」。そのまんまなわけだけれど、今回『連衆』を読んでいて、一番面白かった連作。文字通り、読んでいて

 おもしろい!と笑ってしまったのだった。おそらく、作者は大真面目に書いておられるはずである。受け狙いなんて、絶対にお考

 えではないだろう。そこが可笑しい要因とお見受けした。どの句も落ち(と言ってしまっていいのかどうか)が身も蓋もない。

 最後の句に至っては ソーダ水 → 誰も飲まぬと言い切っている。 老人になるのは案外面白いことなのかもしれないなと

 真剣に感じ入ったのでした。

 

 

 

 

 

『連衆』 2016.8  NO.75

 

毎号、書籍評のページがとても丁寧で読みやすい。今回も興味のある本が掲載されていて、参考にさせていただく。

 

夕顔の顔の包帯解かれゆく   川村 蘭太

猿山やよその子に手を繋がるる 早坂 かおり

血抜きした言葉のからむ蛍光灯 夏木 久

 

            川柳を書いている私が思う、俳句らしい俳句。端正です。

 

 春の夜は乳酸菌で溢󠄀れをり

 母の日を殺したりない気がします

 えいりあん花菖蒲園でたところ

 天の川わたしの位置は変ですね     森 さかえ

 

 タイトルが「はるのはこぶね」なので、全体的に良い意味でのぼんやり感が漂う。

 えいりあんの平仮名表記、殺したりない気、変ですね。って誰にきいてるの?ってすっとぼけたところがいい感じ。

 

 

 目いっぱい蝶の詰まりし蛇口かな

 病葉を担いで水のくるくるす

 黒揚羽死んだふりして死んでいる

 伴天連のような揚羽が書斎まで

 ところてん突けばはみ出す空に死者

 古希突に河童狩りなど思わばや     谷口 慎也

 

 タイトル「旦暮」。渋い。水の十字架くるくるす、こういう動き続ける句は心に残る。

 死んだふりして死んでる蝶の伴天連。蝶の持つあの世感はあさゆうのちょっとの間のこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『機嫌のいい犬』川上 弘美 2010年発行で集英社。

さすが作家さんの句集。装丁が渋い。福島金一郎の挿絵が絶妙。

 

図書館でたまたま見つけて借りてみた。1994年から2009年に書かれた句から編集されている。やはり小説のタイトルになりそうな、そこから物語が始まりそうな、句が多いように思う。

 

夜店にて彗星の尾を見つけたり

いたみやすきものよ春の目玉とは

ぎやうさんの蝶にたかられ重し重し

たくさんの犬埋めて山眠るなり

冬帽子猿にとられてしまひけり

 

 言葉の使い方に心地良い余白があり、最初から最後まで気持ちよく読み進めることができる。タイトル通りの句集でした。

 

  少年の手淫にねむる小雪かな

  花冷や義眼はづしし眼のくぼみ

  行春やまんぢゆう呉れて知らぬ人

  針山の針とりどりに凍てゝをり

  徹頭徹尾機嫌のいい犬さくらさう

 

 

 

 

 

『角川 俳句』7月号

 

特別対談 金子兜太 ✖ 大峯あきら

 

おじいさん同士の対談。私は父とか祖父とかいうものに縁が薄いので、こういう企画はとても好きなのだ。(おじいさんとまともに会話をしたことがない)司会者の宮坂静生さんも昭和12年生まれということで、立派なおじいさんである。

 

一茶のお話しが興味深い。六十歳頃の一茶を軸に対談がすすむ。自分がまだ六十歳になっていないので、「凡夫」「他力」「捨てる力」についてはその年齢に達した頃にまた考えたいところ。

 

大峯あきらさんが東日本大震災については一句しか詠めず、その一句について二人でかなり議論をやりあうのだけれど、双方正直でいいなあと思う。

 

 大峯あきらさんの言葉には救いがあって勇気づけられる。お坊さんだから普通のことなのかもしれないけれど。

 「宇宙という言葉が根本語にならないとダメだと思う。宇宙という特別なことに天を仰いでしまう人がいたら困る。つまり星は

 地面を掘ったら出てくるということ。」

 「人間にとっていちばん大事なのはイメージだ。イメージを持てない人間はつまらん。何も持てないということだ。イメージ

  できない人たちが写生、写生と言っている。」       

  

 

 

 

『週刊俳句』誌上
休み納涼句会

 

雲が峰糸に吊られし科特隊  マリオ

糸瓜や郵便局は路地の奥  幸市郎

糸吐いて吾子もモスラも繭ごもる  守屋明俊

フランケンシュタイン首の電極抜く晩夏  冬魚

銀漢や船長室に鳴る電話  中村 遥

電柱の傾いてゐる溽暑かな  杉太

半夏生電子タバコを咥へけり  瀬戸正洋

「あ」と「う」から始まる会話夏深し  阪野基道

話だけ聞けば海月のことと思ふ  西川火尖

話術などつひぞ磨かず金魚売  由季

 

題が「糸」「電」「話」で、計204句。その中から10句選。最初に面白いなと思ってチェックを付けたのが36句あったので、10句に絞るのに悩む。結局、上記の10句にしたけれど、我ながらとても川柳的な選をしたものだと思う。それぞれに、選評がアップされたので、読んでいると楽しい。選の基準は人それぞれ、とはいえやはり、俳句の世界なんだなーと思う。

 

 

ものがたり蟻が人喰ふ道の端  竹井紫乙

風死して終電車にはキスマーク  竹井紫乙

かちわりに必殺仕事人の糸  竹井紫乙

 

 

西原天気様、お世話になりました。ありがとうございます。

 

 

 

 

 

『ロマンチック・ラブ・イデオロギー』江里 昭彦

 

これまた人にお借りして、読む。発行が1991年とあるので、随分前の句集。略歴から察するに、

著者が30代の頃に書いた作品集ということになる。80年代に、30代を過ごした男の人の書いた俳句。さもありなん。80年代、って感じである。タイトルの付け方も、装丁も、中味も。

俵 万智の『サラダ記念日』が1987年発行。時実 新子の『有夫恋』が同じく1987年発行。

当時短詩に関わっていた人達が、この二人の作品を無視できたはずはないだろう。

(ちなみにこの句集の冒頭には、わざわざ林あまりの作品が掲載されている)

そのことを踏まえて読む必要があるなあと、最初から最後まで読みながら考えてしまった。

 

まず、ふんだんに使われている語彙が2016年現在、短詩で目にするものとはもう、違っている。

表現されている世界観、イメージにはっきりと既視感があるけれど、これもあえて、そうしているのだろう。80年代の俳句世界についてはさっぱりわからないので、この句集がどういう位置に当時あったのかが気になるところではあるけれど、一冊の句集にも、時代というのは容赦なく映り込むものなのだなあと、著者よりちょうど20年の年齢差がある私は勝手にしみじみする。

 

  獄舎裏をぼろぼろ汚す落椿

  戸板にて搬ぶ男女や揚雲雀

  さえずりのなかの頬ずりつづけましょう

  地上へと散るやさみしき鳥の糞

  さまよえばからだにたまる白夜かな

  袋もてひとを攫うに春霞

  囀りをしたたか浴びし一日かな

  同衾の屈葬型の寝覚めかな

  喪の家の桃をおびただしく腐す

  聖家族のせ観覧車錆びにけり

  野遊びの児の尻花粉まみれなる

  直立の傘が監てゐるひと殺し

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

『俳句空間 豈 57号 』

 

人にお借りして読んでみた。現在、何号まで出ているのか知らないけれどこれは2015年発行とあるので、さほど古いものではない。読み物のページが多いので、いいなと思う。

 

「現在という二十世紀」澤田和弥

俳壇のことは全くわからないけれど、この方の文章はとても面白く感じた。二十一世紀という時代はいまだ来ていないと思う、その理由は多くの人の共感を得るものだろうし、紹介されている

園田源二郎さんと石原ユキオさんの句もとてもいい。

 

 実のところ、私は「新しさ」には興味がない。それよりも「生きる言葉」「生きていることに揺さぶりをかけてくれる言葉」に関心がある。

 

 祖母語る脈絡の無き地獄かな    園田 源二郎

                 水鳥は溺死できないぼくできる   石原 ユキオ

 

 

「従軍俳句の真実」筑紫 磐井

一番興味深く読んだのがこのページ。本当に色々考えさせられると同時に、句のインパクトも当然、大きい。季語がとっても恐ろしく感じられる句ばかり。

 

 敵の屍まだ痙攣す霧濃かり     熊谷 茂茅

 馬肉人肉あさる犬らよ枇杷の花   奈良部 藤花

 囀りや草に投げ出す仮義足     播間 友藏

 春泥や便衣の多き敵死体      阿部 黄梅

 向日葵やとりかこまれて捕虜稚き  籾城 信二

 木陰縛られて来し男二人若く    斉藤 順作

 家焚いて酷寒の暖とりにけり    久野 一仙

 娘らは避難に雛は掠奪に      三條 羽村

 椰子の根に倒れて最早屍なり    山本 ちかし

 ここに攻め敵の血塗りし蚊帳に寝る 大村 杜六

 

 

 

 

 

 

 

 

 

付録、というやつに弱い。

『角川 俳句  6月号』の付録は蛇笏賞50年間の受賞者53名分の50句抄と小論の一冊。

何が何だかわからないくせに、この付録が欲しくて購入。まだ付録がきちんと読めていない。

 

白百合の眠らねば朝来たりけり

町古び雨新しやソーダ水        兼城 雄

 

汝が臍より泉湧く音春の雲

汝が化粧待つ春の昼よごしたし

焼網にレバー鳴りたり花の夜

手・頬・胸の痕曇りたる鏡ぬくし    榮 猿丸

 

ままごとはまんま食ふこと蝶の昼    本井 英

 

 

 

 

西原天気句集『けむり』

 

装丁が面白い。こういう作りの背表紙部分の本は初めて見た。ページ毎にばらばらになるのかと

思いきや、とても丈夫。本全体の色彩は柔らかい構成。

 

色んな音がする俳句

 

はつなつの雨のはじめは紙の音

風鈴を指に吊るして次の間へ

匙こつと底に届きてかき氷

かつかつと水飲む鸚哥冬の雲

レコードの溝の終りは春の雨     西原天気

 

 

 日常生活の中の、心地よい音を集めてみるとこういう感じ。生き物が水を飲む音。鳥類と犬猫では全然音が違う。

 特に、食器から出る静かな音は心が和む。匙の「こつ」。

 

 変な大人の俳句

 

 噴水と職業欄に書いて消す

 濡縁にロシア貴族のやうな蛾が

 県道に俺のふとんが捨ててある

 おとな一枚黄落のただなかへ

 餅花が頭にふれて遊び人       西原天気

 

 

 「噴水」は夏の季語。いい職業ですね、皆を涼しくさせて。と言ってあげたい気もするけれど。

 蛾を見て「あ、ロシア貴族」とつぶやきたい気持ちはとてもわかります。

 「ふとん」は冬の季語。ここにポイントを置いてしまうと、物凄く寒い句になる。一体何をしでかすとこうなるのか。

 「黄落」は行楽、と同じ発音。こうらくのただなかへ大人一人ですっぽりはまり込む。恐い。戻れない。

 餅花が体の一部としての頭に触れる。気がふれる。遊び人はもはやただの遊び人ではなくなってしまった。

 

 

 さくらんばう深夜のところどころ雨

 くもりぞら桃が傷んでゆくやうな

 秋ゆふべ砂鉄のごとく惹かれあふ

 野遊びの終りはいつもただの道     西原天気

 

 「さくらんばう」は一瞬「さくらん」に見える。深夜の錯乱、ところどころ。

 果物の中で一番好きなのが桃。見た目も繊細でいい。傷の茶色の不安定さと甘さ。くもりぞらは絶対苦くない。

 砂鉄が磁石にくっつく時、一秒くらいの「ため」があるような気がするのはどうしてだろうか。少しためらう感じ。

 野遊びはどきどきするのに、ただの道を帰るだなんて、おとなー。

 

 

 

 

『はがきハイク』第12号、第14号を送っていただく。

 

切手がいいんだなー。昔の切手で。うれしい。さすがは俳人の

意匠。で、デザインは季節感たっぷり。

 

その男さみし首から上が蠅      西原 天気

 

脳内の庭師がメダカ飼い始む     笠井 亞子

 

傾城の髷の涼しき切手かな      太田 うさぎ

 

才媛に挟まれている金魚かな     笠井 亞子

 

木下闇せなかに触れるものは手か   近 恵

 

 

 

 

特別対談 中沢新一✖小澤實「俳句の原点と神話世界」に、諏訪大社の御柱祭の

話も出てくる。最近、この祭で死者が出ていることについて最高裁で特別抗告中という報道があったばかりなので、なかなか興味深いことと思う。

基本的に祭はその土地の人達のもののはずなので、最高裁で争うのが正当なことなのか、ちょっと論点がずれていきはしないか、よそ者ながらどんな結果が出るのか気になる。地元民であればあるほど、意見は出しにくいものかもしれないけれど、地域住民の声というものがきちんと議論されたうえで反映されればいいなと思う。

 

お二人の対談では、俳句の主題は「非人間、モノ、田舎、自然、下層民」であると言い切ったうえでこれらにどうやって「通路」を作るかが俳句の本質と述べられている。

 

種田山頭火と尾崎放哉の句について、定型の力がはたらいており、自由律といいながら定型を利用してしまっているところがアヴァンギャルドじゃない。と指摘しているのは面白いな、と思った。「アナーキーなだけでは宇宙軸は立ちあがらない」という意見は岡本太郎っぽいなあ。

 

『角川 俳句』2016.5月号

 

 

野生肉食はむと花の峠越ゆ

春陰や焼き入れるとはこのことか   谷中 隆子

 

息のある方へうごいている流氷

春満月悪しきものあつまりて蜜

とどかないところ冷たし桜餅

猫柳こどものうつくしい会話     田島 健一

 

かゆみ止まず人傷つけて虎落笛

新鮮な手のひらに降るこんぺいとう  中内 亮玄

 

送るとは後るることと鳥引く日

蕗味噌やふいに胸衝く母のこと

花ふぶく我の亡骸は誰のもの     鎌田  俊

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

野間 幸恵さんの句集三冊を一気読み。

 

第一句集『ステンレス戦車』。

 

 装丁がカッコイイ!激しいタイトルですが、野間さんは闘っていたんですね、きっと。エロスを感じる句が多く、印象的です。そして言葉遊び、リズム遊びの多用。読んでいて、大笑いしちゃう句が沢山。 

まんじゅうが独尊してらそんぶれら 

写真というノコギリが座っている

性的な線路がつづく水筒や                                                             体積や夜来の雨がオギノ式 

すいてきや殺風景を裸婦がゆく

  連れてって廃屋らしいカタカナに

  金屏風抱く序の口として豹

   食卓やらちなき子宮乱菊る

    目の奥は深手に鹿がほつれゆく

     たまさかに銀はいななく股間来る 

 

  第二句集『WOMAN』。

 

 装丁が、突然普通。というか地味になっていて意表を突かれる。読んでいて胸に迫る句がこれでもか、これでもか、というくらい続く。読み手に迫ってくる力が大きいので、読み終わった後、少々ぐったり。お腹がぺこぺこになってしまいました。

 

  戸袋という淋しい肉料理

   千年を駱駝に揺れるぬり絵かな

   予め百合には釘が必要だ

  壺一つ仮病は半歩遅れたり

   この先は弥勒に限る舌ざわり

   金色に北斎とバター流れ出す

   詩は行けど塀に身体をこすること

   表情が勝手口なら鯉である

   割れおもう故に鈴鳴る帰ってこい

   寒天と子供の裏に引き返す

   起立・礼言葉は干して使いたい

   いつまでも0を洗えば死者の靴

   せんてんす鳴りやまぬ黴で会いたい

   ぼくはただ水に映った父と母

  

  第三句集『WATER WAX』 

  こちらは既に感想を書いたけれど、兎に角、自由度がめちゃくちゃ高い。この本は唯一、序文とあとがき、作者の文章が掲載されています。野間さんの書かれている「混沌の中の清潔」、これって本当に凄い言葉。

 

 少年に少年置けば白雨かな

 煮こごりのなか正倉院正倉

 ひたすらは波のようなる猫は花

 金閣寺いまわのきわという沸点

茄子紺で帰巣本能というもの

昆虫の仕組み夜明けの音がする

 千年は鴨居に遊ぶ紙の月

 つまづいて360度が旅人

 正倉院ひとさし指を立ててみる

 かぐわしい数式だろう梨ひとつ

 水底として十一面観音像

 この世でもあの世でもなく耳の水

 

 

 

 

『芸人と俳人』又吉直樹✖堀本裕樹 集英社

 

このお二人のコンビでテレビ出演しているのを観て、面白かったので

読んでみた。入門書的な感じでありつつも、生徒役の又吉さんが漫才師で、堀本さんも関西出身の方だから、やりとりが柔らかくていい。

「お笑い」と「俳句」の共通点を語り合う部分も多くて楽しい。

 

季語エッセイ 秋 「灯火親しむ」 又吉直樹 のページでちょっと、泣きそうになる。泣かないけど。

 

なつかしい男と仰ぐ帰燕かな

コント見てころころ笑ふ春着の子

蛙の目借時テナント募集中

南風を聴き尽さむと岬かな

鳥雲に手のひらを待つ占ひ師

モヒートのミントあふれて星祭      堀本 裕樹

 

                     石鹼玉飲んだから多分死ぬ

                     廃道も花火ひらいて瞬けり

                     激情や栞の如き夜這星

 

                     寝積むや追つ手は象に嚙まれをり

                     蒲公英や行けなくなった喫茶店

                     狂人は常人となる踊りかな        又吉 直樹

 

 

 

『連衆』2016.5 NO.74

 

春愁の床から指が見えている

あつけなく蛇は轢かれて水溜り     柿本 多映

 

野遊びの果て屈葬の浮雲よ

心臓の位置が動いて落椿        谷口 慎也

 

月光をつめて荷造りすませたり

私といふ刑場のあり冬すみれ      夏木  久

 

湯に浮かび夜桜ほどの位置にいる    島村 ゆうた

 

春潮を腰に巻きます岬にて       しいば るみ

 

 

いつも、読み物のページが充実している。今回は竹岡一郎さんの、連作についての評論が面白かった。

新・俳句初学で竹岡一郎さんの句を並べて解説されている。わかりやすい。読みの幅を広げる。

 

                                           2016.5.25

 

 

 

俳句誌『豆の木』NO.20 2016

 

年刊誌ということで、とても読み応えがある一冊。29名分の俳句が楽しめる。読み物のページも多い。

 

第21回豆の木賞の受賞者のページが面白い。20句競作参加者の互選評が掲載されていて、皆さんの率直な意見が拝読できる。

受賞者の田島健一さんの俳句は、私が勝手に思う、俳句らしい俳句。

 

 軍艦をこわして蛍籠をつくる

原子炉がこわれ泉は星だらけ

いちご憲法いちごの幸せな国民

玉蜀黍が戦場それ以上言わない                       桃に水のこわさがつづく夜空かな

知りたがる八月の者たちは雨                      かなしい絵本黙って梨をむいている                      誰か空をころして閉じ込めて鶴を        田島 健一

 

 

 

毛皮夫人都立家政のスナックに

毛皮夫人のからだのなかの銀河かな

十手持ち毛皮夫人はテレビ観て

チロルチョコ食べるほかなし毛皮夫人

海へ出て毛皮夫人の毛皮の毛

犬の糞拾ひし毛皮夫人です                 中嶋 憲武

 

 

また前のひとが見えなくなる薄暑   

十薬に囲まれている洗濯機

白鳥が来るとき狭い君の部屋

冬帽の中には美しいつむじ

ゆっくりと海鼠は弟を離れ

声発しても陽炎に逆らえず                    近恵

 

 

 

 

『WATER WAX』野間幸恵 あざみエージェント

 

少年に少年置けば白雨かな

煮こごりのなか正倉院正倉

歳月を浅いと思う醤油かな

ひたすらは波のようなる猫は花

羊羹のように眠れぬ夜のこと

茄子紺で帰巣本能というもの

昆虫の仕組み夜明けの音がする

千年は鴨居に遊ぶ紙の月

かぐわしい数式だろう梨ひとつ

 

 とっても面白い。本のつくりも、凝っている。タイトル通り、表面がぴかぴかしていて、指の指紋が付きそうで

 少し、神経を使う。中をめくると横書き。そして字体は丸い。というか丸い方向性というか。ページ数も○で

 囲まれている。わざわざ。端はリングノート状態に仕上げられている。丸い。球体。光沢と水滴。

 

 

永遠に途中ですか一本杉

那智黒は詩形のように遊びたい

かなしみは黒酢のように離しけり

つまずいて360度が旅人

正倉院ひとさし指を立ててみる

正しさの水路を走るメンソレータム

王として表面張力を歩く

この世でもあの世でもなく耳の水

 

 個人的には笑える句が多かった。別に作者はウケを狙ってなんか、ない。大真面目に、おかしい。そこがとても

 いい。好感もてる。序文の筑網さんも書いておられるけれど悪意のようなものが一切、ない。諧謔もメッセージ性

 もない。それがとても気持ち良いし、自然と笑ってしまう要因となる。私の笑いのツボが一般とズレてるとしても

 とても楽しい。

 

 

金閣寺いまわのきわという沸点

不埒とは雨量のことでなく降る

ふらすこがいまわのきわを滴れり

水底として十一面観音像

石英はローマ字に似て暗い昼

 

「野間ほど俳句形式を愛する俳句作家はいない」と筑網さん。「この句集は〈かたち〉への執着に満ちている」と

 あとがきの柳本さん。「混沌の中の清潔が描けていれば」と野間さんご本人のあとがき。私はこんなに自由に

 書かれた句集は少ないと思う。言葉から自由になる試みはとても難しいことだと思うし、自由ぶった句は沢山

 あるけれど、本当に自由をやれる人はほんの一握りしかいない。これはとてもいい成功例で、嬉しくなった。

    

 

 

 

 

 

『15歳の短歌・俳句・川柳』③なやみと力

 

  人殺ろす我かも知らず飛ぶ蛍   前田 普羅

 

  飛込の途中たましひ遅れけり   中原 道夫

 

  犬を飼ふ 飼ふたびに死ぬ 犬を飼ふ  筑紫 磐井

 

  人類に空爆のある雑煮かな    関 悦史

 

今回の③は、俳句がとてもよかった。心惹かれる作品が多くて。かなりブラックなものが収録されているなという

印象。特に心に響いた4句。

 

 

 

春のお菓子を頂く。何でもかんでも桜色。実際には、

まだ花見には少し早い。

 

ふしだらに犬もいる日の桜咲く

草餅はなおも怠惰にふっくらと

明け方の夢なめている春の蠅

排水のホースのたうつ春の闇

階段の五、六段まで春の泥   坪内 稔典

 

うう、もうすぐ本当の春が来る。暫くは偽物の桜味の

お菓子でこらえる。

 

 

 

 

 

  冬空や猫塀づたひどこへもゆける  波多野 爽波

 

こういう風に生きてゆけたらいいな、と猫を眺めていて思う人は沢山いる。だから猫は人気がある。その反面、

嫌われたり自分勝手の代名詞に使われたりもする。「どこへもゆける」先にあるのは結局「死」なのであって、

私は猫が死ぬように死ねたらいいなあとは思う。

 

  五月病草の匂ひの手を洗ふ     村上 鞆彦

 

草の匂いくらいなら、洗えば済む。五月病にかかったことがないから、どのようなしんどさなのかはわからない。

普通に生きていれば、手を洗えば済む程度のことでは済まないことがある。この句は妙に、しみる。

 

  襟巻となりて獣のまた集ふ     野口 る理

 

最近、狐の襟巻のことが会社の同僚や友人と話題になった。祖母の年代の人達が巻いていたあの狐の襟巻に付いていた頭部は、剥製なのか作り物なのか。手足も付いていたけど、あの部分は素材は何だったのか。意見はわれた。そして誰の家にも、あの顔付きの襟巻は残っていないのだった。近頃は顔付きの襟巻を巻いている人を見かけなくなった。胴体部分のみを使用しているわけだ。それはそれでどうなんだ、と思う。

 

『15歳の短歌・俳句・川柳』②生と夢から。

 

 

 

 

   草の実や女子とふつうに話せない  越智 友亮

 

 この句を初めて教えてくれたのは、久保田紺さんだった。

 だから、どうしてもこの句を目にすると「紺さん、こんにちは!」と言いたくなる。

 作者には全く関係ないことだけれど、小説でも、短詩でも、出会い方というのはとても大切だ。

 私の個人的な思い出とともに、この句は明るく胸の内に存在している。

 

 『15歳の短歌・俳句・川柳』①愛と恋 33ページ

 

 

 

 

 

 

 

『連衆』73号を頂いた。

短詩型文学誌ということで、メインは俳句だけれども川柳も掲載されており、あざみエージェントのご縁で私の句集の書評を書いていただいた。とても温かい文章で、有り難く思う。

 

川柳のページから

 

ほどかれる前にほどいた髪くろぐろ

壁で手を支えて夜を受け入れる     笹田 かなえ

 

多分、舞踏家の方がテーマの連作。なかなか色気のある句が並ぶ。中でも普遍性のある句だなと思ったのがこの2句。

 

俳句のページから

 

山眠るわたしもねむる真似をする     しいば るみ

 

面白い。この方の句はとても素直で、特にこの句に良さが凝縮されているような気がする。

 

水仙に母を係留してをりぬ        夏木 久

 

こういう言い方もあるのだねえ、と感じ入りました。水仙って、どうとでも使えるなあ。

 

一線を越えたはずだが亀がいる

手から手へ渋皮煮には長い夜

満天をともに仰いで少し犬

スープ澄み原住民ほどしずか

うみうしをやめないかぎり朝が来る

一夜明け桔梗のおわりからはじまる     松井 康子

 

とっても魅力的な句群でタイトルは「ひらり」。「少し犬」「原住民しずか」など素敵な表現が多くてうっとり。

でも決して現実から乖離してはいない。うちの庭にも桔梗がある。あのしぼんだ桔梗に「おわりからはじまる」と

いう言葉を与えるところがこの方の句の背骨の強さだと思う。

 

舌は夜の虹がしばれる暴れる

殴られすぎて音楽になる雪か

雪中の鼓膜やぶれて蝉を聴く

喉に狐火つまらせ今日もまだ人だ

こはれた記憶こほらせると青空      竹岡 一郎

 

タイトルは「極私的十三歳』。極私的とあるように、何故十三歳なのかは読者にはわからない。

冷たくて美しい句が並ぶ。ただしその美しさは完璧なものではなく、破れ目がちゃんとある。

その裂け目のあり方が十三歳なのかもしれない。

 

煮凝のごとき頭を棒に振る

ゴキブリの死にてかてかの寒さかな

生涯を人で貫き露の玉

枯野ゆく耳一列の無言劇

雪降れば戸籍に入る狐かな

唐突に軍艦枯野に灯が点る       谷口 慎也

 

『連衆』主宰の谷口慎也さんの句。タイトルは「心辺実録」(その参)とあるので川柳で言えば雑詠ということに

なるのだろう。それぞれの句の完成度がとても高いけれど、ほんのり温かみが、ある。ゴキブリの句にさえ、ある。

 

 

 

 

 

車谷長吉句集     

(沖積舎・平成十五年六月十三日発行)

 

 今年の秋に、初めて赤目の滝へ出掛けた。

そういえば、ここの地名の映画があったなと思い出し

映画ではなく、原作である作者の小説『赤目四十八瀧心中未遂』を読んだ。

 読後、三日間程はこの小説のせいで発熱してしまった。

 近松の心中ものが好きだ。この本のタイトル通り、心中は未遂に終わるけれども、昭和が舞台のこの小説においては

未遂に終わることこそが江戸時代の心中に匹敵するほどのインパクトを放つ。

 こんな小説を書く人の句はどんなものか興味を持った。

 

 浅き春人の渡らぬ橋渡る

  頭陀袋持ち重りする春の雨

  花さがし迷ひ出たる春の沼

  雨傘や櫻花びら一面に

  草餅を邪神に供へ杵洗ふ

 

  作家の経歴自体を売り物にしていた方なので、そこは読む側の知識としておいてよいのだろう。「人の渡らぬ橋」「頭陀袋」

 などは作者ならではの言葉。桜を扱った句は目が洗われるような美しさを感じる。 

 

  

  ガラス割れ冬の夕焼け一面に

  大葬のしゞまを破れ寒鴉

  冷気吸う友の手紙を引き裂いて

  朝寒や女の尻をなでなほす

  頭の中の崖に咲く石蕗の花

  あしうらであしうらなでる除夜の鐘

  遠き火事今年最後の大あくび

  元旦やたばこつくづく深くのむ

 

  冬の句が一番心惹かれる。あまり甘い表現は好きではないのでそのせいかもしれない。友の手紙を引き裂くには冬の寒い日が最もふさわしい。女の尻やあしうらを撫でるのも、暑苦しい季節には心地悪いだろう。最も素敵なのは「頭の中の崖」に花が咲くという表現。誰しも持ち合わせているはずの崖っぷちだが、それをはっきり意識する人は少ないだろう。

 

 

 

 

 

「しばかぶれ」第一集を読む。

 

中山奈々さんが特集で組まれていて、常々この人の句をまとまった形で読んでみたいと思っていたので句集を買ったような気持ちで読んだ。

 

メロディーと名付けし春の雲崩れ

蟻穴を出て狛犬の口の中

万歳をして噴水に消えにけり

心臓はどっかにあって春の雨

ニキビの芯並べ夏蝶まつてゐる

ビールビールごめんなさいを繰り返す

ががんぼや酔へば厠の壁殴る

四面みな家電おでんを食べにけり

茄子きゅうり実家の住所忘れけり

眼帯の紐切れにけり夕紅葉

クリスマスますます眼黒々と

              中山 奈々

 

 私は今、歯が痛い。昔から悪い歯で、子供の頃から何度も治療している。今年の八月にも治療した。疲れると、その歯が痛む。慢性的な鈍い痛みと同じもやもやを、奈々さんの句は抱えている。慣れ切ってしまった痛み、とでもいうか。

 一秒たりとも同じ形を保てない雲に名前をつけてしまったり、グリコの看板が倒れるように消え失せたり、触ってはいけないニキビを潰したり、飲み過ぎて暴れて忘れている。住所も、心臓すらも忘れている。

 

眼帯の紐切れにけり夕紅葉

クリスマスますます眼黒々と

              中山 奈々

 

 特に美しい、と思った二句。どちらも眼にまつわる句。奈々さんにとっては目に映るものが全てなのかもしれない。真黒な、ビー玉みたいなお目目で。

 

桃煮つつ言葉に重くなる喉よ

秋の日へ肺魚はいつも揺れてゐる

爽やかに眼の濁りたる木魚

空はむらさき骨を濡らせる椋鳥たちよ

木の椅子に滲む名前よ野分晴

                  青本 瑞季

 

 詩情ゆたかだなあ、と暫しうっとりする。

 

息吐けば歯茎をまはる桃の汁

右へまはりて蜻蛉のつんのめる

長き夜の魚のはらの心地よし

水ふたつ水の高みに渡り鳥

返り花音させて銭もちあるく


                 田中 惣一郎

 

 私が思う、俳句らしい俳句。

 

  「しばかぶれ」第二集も楽しみです。